英語の名詞には単数形(singular)と複数形(plural)があることは諸君も知っておられることでしょう。

基本的には語尾に -s を付ければ複数形になることも「当たり前じゃん!」と言われることでしょう。

しかし、単にそういった規則に当てはまらない場合もあります。

そして、当てはまらない場合の方が圧倒的に少ないですから、そんな例外さえ押せておけばバッチし!!

それに、本当は例外にこそ面白さが隠されているんですね。

諸君も決まりきったことって「なーんも面白くねぇ!」のじゃないですか?

今回は、「1つの語なのに2種の複数形を持つ」という切り口から眺めていきましょう。

複数形を学習する中ではマイナーな切り口かもしれませんが、逆に言えば、こういう切り口にこそ、英語が面白くなる触媒が隠されているかもしれませんよ。

英語では、1つの語が2種の複数形を持つ場合があります。

同じ意味の言葉に2つの複数形があれば、ややこしい限りですが、そうではなくて・・・。

ともあれ、問題を通じて「どういうことか?」って考え始めてみましょう。

1つの語なのに2種の複数形を持つ【問題】

次に示す語が持っている2種類の複数形を示し、その語の意味を【 】内に書いてください。

1.brother
a 【兄弟】
b 【    】
2.cloth
a 【布地・布切れ】
b 【    】
3.die
a 【    】
b 【鋳型・型板】
4.penny
a 【硬貨の枚数】
b 【    】
5.index
a 【索引・指標】
b 【    】
6.genius
a 【    】
b 【守護神】
7.phenomenon
a 【現象・事象】
b 【    】

1つの語なのに2種の複数形を持つ【解答と解説】

1.brother
a brothers 【兄弟】
b brethren 【仲間・同胞】

“brother”は「兄弟」。これは諸君も「当ったり前ジャン」クラスではないでしょうかね。

そして、複数形は、単純に語尾に -s をつけて”brothers”に決まってるじゃんではないでしょうか?

[例] I have many blothers.

私は兄弟が沢山居る

ではでは、もう一つの複数形と聞かれたらどうでしょうか?

日本語で「兄弟」と聞いて、実際の兄弟以外で連想すれば、何だかテレビや映画で聞いたことがあるような…。

ちょっと、よくない世界を連想しちゃいますが、「兄弟分」とか「兄弟の盃を交わす」なんてことが思い浮かびますね。

別によくない世界の話だけではなく、よい世界でも、信頼できる関係といった意味で「兄弟」は使われますね。

そして、英語の世界でも、ちゃんとこのような関係を表す言葉があります。

精神的に繋がった「仲間」「同胞」「同士」といった意味合いですね。

これに対応する言葉として、”brother”の複数形”brether”を取り、さらにその複数形として -ren を附した”brethren”となり、聖書でも出て来るそうです。

よく似た単語に”children”がありますが、これは”child”→”childru”→”children”と二重に複数の語尾が付けられたそうですから、謂わば、二重複数形の言葉となっています。

よく考えてみれば、日本語でも「子どもたち」と言いますが、「子ども」で本来は複数を表していたはずなのに、その上に「たち」をつけているわけですから二重複数になっているのは面白いですね。

[例] I can’t betray my brethren.

私は兄弟同然の仲間を裏切ることはできない。

■融通無碍■

“book”の複数形は”books”なんですけれど、本来は”beech”として伝わっていた筈なんですって!

“goose”の複数形が”geese”となったり、”foot”の複数形が”feet”となったように…。

その時の歴史の流れが言葉を規則通りにしたり例外を作ったりするんでしょうね。

そう考えると、一つ一つの言葉にもそれぞれの物語があることをしみじみと感じます。

堀田隆一先生の本を読まれるのもとても刺激になりそうですね。

過去問を一つ一つ丁寧にこなすことは合格には必須。

ただ数をこなすことだけにとらわれていると、決して合格力は身に着きません。

日常的に正しく勉強さえ出来ていれば、この過去問も、最後の確認、仕上げとしてプラスαを約束してくれるでしょう。

お尻に火がついている受験生も、一つ一つ丁寧に理解し、自力で再現できる訓練をすれば、間に合うかもしれません。

焦って、あれもやりこれもやりでは、さっと流しているだけで何も身に着きません。

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