世界は、あなたの前に、重くて冷たい扉をぴったりと閉めている。
それを開けるには、自分の手で、爪に血をしたたらせて、こじあけるより仕方がないのである。
花森安治『一戔五厘の旗』~世界はあなたのためにはない~
世界はあなたのためにはない!
冒頭の引用は、NHKの連続朝ドラの『ととねえちゃん』で一躍知られることになったであろう花森安治氏の言葉ですが、かつて高校生になった私の元にも早速と届けられた言葉です。
その当時から、暮らしの手帖の編集長だったことすら知らず、ただただこの言葉を赤いボールペンで囲っていた雑誌が今も残っていたことで、思わずアップして残しておこうと思った次第です。
それは、次の3つほどの動機に集約される思いと重なったからでもあります。
- 現代社会は、こういった能動的な態度が著しく死に体状態になっていること
- 現代社会は、あたかも「世界はあなたのためにある」ように思わせていること
- 現代社会は、言葉を表層的な道具としてしか取り扱っていないこと
「この春、学校を卒業する若い女のひとのために」とサブタイトルが付いているようですが、「世界はあなたのためにはない」というフレーズは70年らしいと言えばそうなのですが、それでも、これから社会に出ようとする若者にとってはあまりにも衝撃的な冷徹さの響きがありますよね。
私などは、実に清々しい思いでこの言葉を噛みしめましたけれど、昨今は「世界はあなたを待っています!」かのようなキャッチコピーが溢れていますから、今こそ誰もが言わない本音を言わなければならない時ではないかと切に感じてしまいました。
少なくとも、花森氏の言葉は人間の現実生活において深く厳しく築かれてきた人間精神そのものを発現しているのであって、言葉遊びではないことを感じ取るだけでも意義があるのではないかと思います。
そして何より、受験生には、楽して良いものを手に入れようとする邪心、こじ開けれないことを「こじ開ける必要などないんだ」と慰めてくれたりする共感を追いかける邪心をバッサリと斬ってくれる言葉になることを願います。
今も爪に血をしたたらせてこじ開けようとしている人々は沢山!
つい最近終えた平昌冬期オリンピックでのメダリスト、羽生結弦選手や小平奈緒選手、髙木菜那・美帆選手などはもちろん、爪に血をしたたらせてこじあけたことは当然ですが、メダルを取れなかったその他の選手も爪に血をしたたらせてこじあけたことに変わりはありません。
オリンピックに出場できなかったアスリートたちの方が圧倒的に多いわけですが、その誰もが、日々、自分でこじあけようと爪に血をしたたらせて頑張っていることは同じです。
スポーツ論は別として、トップに行かなければ惨めで意味がないことだなどと本気では思っている人も少ないのではないでしょうか?
どんな分野に進むにしろ、普通の一般社会に出るにしろ、自分たちが羽生選手になれるはずもないからといって、何もこじ開けようとしないのであれば、それは正しいことでしょうか?
そして何より自分の人生にとって何らかのメリットがあるでしょうか?
これに関連しては、フランス文学者であった故河盛好蔵氏の「Bクラスの弁」というエッセイを後日に紹介させていただきたいと思います。
世の中は、稀有なAクラスと頑張る数多くのBクラスと数多の何も頑張らないクラスの3つしかないと私は考えています。
もちろん私たちなどは数多くのBクラスに過ぎないことは端から認識していますし、最近政治の場で矢面に立たされている佐川元理財局長ですらAクラスだなんて思ってもいません。
ご本人は本音のところでAクラスと思っていらっしゃるのかもしれませんが、はっきり申し上げて、もしそうであれば、その時点で、所詮最初からBクラスどころかCクラス以下の人として私たちは括りに入れてしまいます。