[脳細胞を働かせてちょう題 05]割り算のパズル
81をある正の整数で割ると、小数部分のどこかに「1995」という数字が出てきます。このような正の整数のうち、最小のものを答えなさい。
過去の算数オリンピックからの出題
何から手をつけていけばいい?
どんなものでも、日本語で書いてあることを算数の式で書いていくしかないよね。
さーて、ともかく式として書いてみると、
81 ÷ □ = ◇.xxx1995xxx・・・(1) といった感じとなりました。
「小数部分のどこかに「1995」という数字が出てきます。」だから、小数点以下は何だかわからないから「.XXXXXXXXX」にしておいて、このどこでもいいから適当な場所に「1995」をはさんでおいてやればいい。
このように書いておく以外に書き方があるかな?
このように殴り書きを始めないと考えることも始まらないで空を見つめるだけで時間が過ぎていく。
書きながら、いや、その前に方針を立ててしまえる子も多いかもしれませんが、そんな子は少し我慢してもう少し付き合ってください。
僕は頭が良くないので具体的に考えないと先に進めないってわけです。
ともかく、「1995」は小数点の部分であるならどこにあっても構わないんだから、0.1995と小数部分の最上位に「1995」を持ってきて、「例えば・・・」と考え始めます。
式で言えば、81 ÷ □ = ◇.1995xxx・・・(2) と考えてやろうということですね。
このように考えることになにか不都合があると思いますか?
僕は、(1)の式 81 ÷ □ = ◇.xxx1995xxx は両辺ともを1000倍したって成り立って、
81000 ÷ □ = ◇xxx.1995xxx となりますから何も不都合はないと考えました。
ご近所さんを見る・シンプルさんを見ることを覚える
このときに、実は0.2という数字を視野に据えています。
何故かって?
こんなややこしい数字には何か裏があって、きっと近くのキリのいい数字と何か関係があるかもしれないと疑うクセが付いているからです。
おそらく、こういった「近くの数字」「キリのいい数字」を思い浮かべようとすること、もっと言えば本書でも書いているように「こうだったらいいのにな!」と思う対象に目を付けてみることが、ひらめきの源泉の一つになることは確かですよ。
すなわち、
- 0.2という数字が5倍すれば整数1になれるキリのよい数字だということ
- 0.1995は、そのキリのよい数字0.2に限りなく近い数字であること
の2点に着眼して、無数にある数字の中から0.2を取り出してくることなんです。
日本語では『分節化』ということになるでしょうか?
と言っても、閃いてからも先の長~いのが世の中の常ですけれど…。(笑)
上記の2.により、
0.1995=0.2-0.0005 であることを書き出しておきます。
0.2を5倍すれば 1 ・・・基準
0.1995を5倍すれば 1 - 0.0005 × 5
0.2を10倍すれば 2 ・・・基準
0.1995を10倍すれば 2 - 0.0005 × 10
・・・・
と思考実験に入ります。
何故なら、想定した(2)の式で「◇.1995xxx」の「xxx」はとりあえず無視して
81 ÷ □ = ◇.1995・・・(3) として考えてやると、
◇.1995に□を掛けたら81という整数になると言えるわけですから、0.1995に分かりやすい倍数を掛けて様子をみようという作戦です。
どうやら、倍数を大きくすればするほど、0.1995の倍数は基準の整数から遠ざかっていきます。
ところが、
0.2を400倍すれば 80 ・・・基準
0.1995を400倍すれば 80 - 0.0005 × 400 = 80 - 0.2 ← この結果は0.2を399倍した数字と一致
これで感覚的には答えに近づいたというか答えだけなら出て来るわけですが、このままでは単なる本質を探し当てるためのラフな思考の殴り書き。
何故、整数を捉えなきゃいけないの?
解答プロセスを正式に書くとすれば、ここからは、原式 81 ÷ □ = ◇.xxx1995xxx・・・(1) から忠実に説明していかねばなりません。
よかったら考えてみてください!
教科書とは違って、こういった問題なら徹底的に納得するまで考えようとできるのではないでしょうか?
頭が良すぎるとひっかけの罠にはまることもある!
心の底から理解して正式な解答プロセスを書き上げることで、数学力は数段アップするでしょう。
ひらめいた後の詰めも、なかなか緻密さが要求されます。
答えは401です。
実際のオリンピックでは406と答えた人が多かったようですが、逆に何故?って思いました。
でも、その理由は何となく分かりました(おそらく81 ÷ 0.1995 から)が、僕の不器用な頭ではこの発想が思いつきませんでした。
でも、それが幸いして出題者のひっかけ・罠にはハマらなかったと言えそうです。
『怪我の功名』ということもありますから、不器用でも確かなことをきっちり積み重ねていれば、思わぬ勝利を収めるシーンも必ず出てきますよ。
この問題を与えて、子どもの脳細胞の働きが間違ったまさにその分岐点を悟らせることができれば、それこそ本物の指導者と言えるかもしれませんね。