積分と体積をめぐる基礎問題

3Dプリンターに、で単調に増加する関数のグラフのデータを入力し、第1象限にある部分をy軸のまわりに回転して得られる回転体が内容積となる容器を製作した。

これに毎秒a (aは一定)の割合で水を注入したところ、水面の高さがyのときの水面の上昇速度は毎秒であることが計測された。

1) 入力したは何であったか?
2) 水の注入開始からt秒後の水面の高さをtで表してみよう。

ΣとSと∫は親戚だったとは、お釈迦さまでも知るまいよ!

積分と体積

厚みが単調に増えていく(減っていく)ロースハムの塊を左図のようにy軸に串刺しにしてみた。

Y座標がkである断面で包丁を入れ、次に切り口から十分に薄い厚みΔyでスライスして薄いハムを切り出した。(赤いハッチング)

このスライスはy=kでの断面積×厚みΔyの体積があると近似することができる。
(断面積は切り口の両側では違った値であるから誤差が出る)

次の切り口から再び同じ厚みΔyでスライスをすると、これにもy=k+Δyでの断面積×厚みΔyの体積があると近似することができる。(青いハッチング)

この作業を、片方の端からもう一方の端までくり返し、スライスしたハムの体積を全て足せば元々のロースハムの塊の体積が近似できる。

スライスしたハムの体積を全て足す処理を、数学では「SUMを取る」「サメーション(summation)を取る」と呼び、記号はΣ(シグマ)を使うことは知っていることと思う。

技術屋さんや研究屋さんになると、物理データを解析する時などには、「サメーション(summation)を取る」という言葉はよく使うようになると思うから頭に入れておいて!

この記号Σはギリシア文字でSに相当する文字だと聞けば「そうだったのか!」と膝を打つことだろう。

さて、この作業を分析していくと、次のことが分かってくる。

  • スライスの厚みΔyを大きくすると、両方の切り口の断面積の差は大きく、従って誤差が大きくなり体積の精度は落ちる。
  • 逆に厚みを薄く切れば切るほど、両方の切り口の断面積の差は微々たる程に小さくなり、精度よく体積が求められる。

ただ、いくら薄くスライスしてデジタルの値のSUMを取っても限界がある。

そこで無限に薄く切ったその和をアナログで処理して、正確な値を割り出せないものかと思案する。

これが、『積分』というわけだ。

そして、その記号として∫(インテグラル)が使われることになったが、これはSを上下に引っ張って塑性変形させた形になっているのが分かるだろう。

ΣとSと∫は親戚として繋がっていたのだね。

『積分』という処理は、要するに無限小に分割した値のサメーションを極限の性質からアナログ的に確定することと考えればいい。

高校数学でも、まずは平面上の面積を求めるという処理から学びますが、体積もただ立体と言うだけで考え方は同じです。

微分や積分は意味さえ分かれば、高校数学程度では単純作業の最たる単元ですから、怖がらなければ得点源にできますよ。

今日の書きなぐりノート

1) 分かっていることを書き出す

体積を V とすると

・・・①
・・・②

時間によって変化する物理量を扱う場合は、変量を時間で微分することが基本になります。

与えられた条件を、上の①、②の式として書き出せることは基本中の基本です。

さて、体積とはy軸に垂直に切った断面積を0からyまで積分したものであり、(x,y)座標点がy軸のまわりに回転して作る断面は円であることから、

の場合、 ・・・③
の場合、 ・・・④

積分と体積

③の両辺を時間tで微分すると、
・・・⑤

④の両辺を時間tで微分すると、
・・・⑤

①、?を⑤に代入すると

 ⇒ ・・・⑥

よって、・・・解答終了


2) t秒後までに注入された水の容量はat

・・・③がatと同値になったときのyがt秒後の水面の高さとなる。

⑥により、t秒後までに注入された水の容量は、

・・・

現実世界

学部は違いますが我が後輩(京大情報工学OB)とある臨床医の言をご紹介しておきましょう。

たかが盲腸の診断すらできなくなっている医者が蔓延る世の中で、10人専門家がいれば8人はやぶだといっていいでしょう。
まして、ネット情報に至っては9人はやぶでしょう。

それぞれの周囲を見渡せば本当のプロといえる人はごく一握りだと誰もが知っているはずです。

その中で生活上の問題を切り抜けていくには、俗流社会学や俗流心理学・俗流分子生物学・俗流脳科学・俗流AIなんぞをこねくり回して遊ぶのでなく、知識、感性を自分の責任で磨いて対応するしかないですよね。


いくら教科書や※※※学会で教わったことがないからと言って、臨床経験を積めば、おかしい?と思う筈です。

文献的な情報の受け売りばかりだけで、自分達の頭を使って考えることがなくなっているのが現状です。

世間的には、お賢い人がなれると思われている医学の世界ですら、当事者や見る人が見れば、現実はこんなものです。

あなたの最寄りで、何もかも信頼できるお医者さんを探せれば、それは非常に幸運なことですが、まぁ十中八九紋切り型のことしか言いませんね。

それ自体は何の落ち度もないように見えますが、大いに患者を不利益に導いていることもあることを経験された方も多いのではないでしょうか?

ましてや、生命には関わらない教育の世界では、指導者がやぶである確率など、さらに高いことは目に見えています。

お子さんの成績が上がるための条件は、そもそも真面目にやる気持ちがない場合を除いては、

  • 勉強の仕方の流儀を我がものとして確立する
  • それぞれの実際の学習内容に関して、自分で自分を納得させる理解をする術を会得する

という2点を、自力あるいは第三者のサポートを得て確立するということ以外にはあり得ません。

ところが、そんなところは突いてくれないのが現実社会です。
たいていは、準備された模範解答を恭しくご教示頂いて、エラそうに「俺のようになれるだろ?」というスタンスではないですか?

準備していなければ、どれだけの指導者が慌てふためくことでしょうか?
準備しなければ移動できないこと、及び「それはそれで教育になることを受け入れられない指導者のナント多いことか?」ということが問題なのです。

どんな問題でも、現実には、ことによって他人をあてにすることほど実の無いことはないのは確かですから、先ずは、自分の流儀を曲がりなりにも確立すべく動くのが優先されるべきだと考えます。

何も、他人を信じるなと言っているわけではないことをご理解くださいませ。