「努力する能力」も学生が身に着けるべき大切な資質
松平先生
正しい勉強方法は無駄の多い方法よりも合理的ではあるけれども、「サボっていても効果が上がるような方法」であるワケがありません。
仮にそのような魔法があったとしても、かつて指導していたものとして決して教えてはならない方法なのではないかと感じています
「努力する能力」も学生が身に着けるべき大切な資質なのですから。大学受験本は一冊だけ書いていますが副題に「不器用だからできる」とあったはずです。
「不器用を克服する本」ではありません。
「不器用」と敢えて書いたのは、「サボってもできるような方法を求める人」ではなく、「不器用に」「真面目に」「こつこつ」勉強しているけれども結果が出ずに悩んでいる人、「何故そうなのか?」を徹底的に追求する性格のために先に進めない「頑固者」、そんな人たちのお役に立ちたいと考えたからです。
「不器用さ」をなくせとは一言もいってはおらず、寧ろ現代という時代にこそ、「不器用で」「無骨な」「勤勉な日本人」が復活するべきだと考えています。
「サボり癖」がついている人はちょっと苦労してもらって、真面目に勉強する気になった時に勉強すればいいというくらいに私は考えています。
ガリレオ先生
まさしく僕もそう考えています。
松平先生は、執筆者でありながら、一部マニュアルを除いては、販売ページには一切タッチできないという立場で、さぞ無念な思いや心外の思いをされたことと思います。僕は先生の真意をよく理解していますが、一般の閲覧者の皆さんには、そんな事情もあって、真意を勘違いしておられる方も多いかもしれませんね。
僕は先日、教え子(購入者という言い方はしたくないので)から自分と同じ年代の子たちに「意を決して一歩を踏み出してもらいたい」という願いを広く発信して欲しい旨でメールを貰いました。
僕はこの教え子が、「1)努力を開始してくれたこと」とともに、「2)他の人も一緒にやろうよ」という「共生」意識なる予想外の反応をしていただいたことに驚き、感動すらしました。
努力をすることが充実をもたらしてくれることを彼は知り、それを素直に呼びかけたかったのでしょうね。
すごく自然なこの気持ちを、いつまでも大切にして欲しいと願っています。
【東京大学法学部受験突破の勉強法】 不器用だからできる“逆転合格の極意”
「学ぶ」ことの本質や面白さを最初から放棄しない
ここからは、僕が感じた松平勝男先生を、僕との共通点を絡めながら綴っていきたいと思います。
【****】サイトをよくご覧になっている方には、すでにご存知のことと思いますが、【****】代表者が松平勝男先生をご存知です。
そして逆に、松平勝男先生は【****】の存在意義を非常に高く評価していただいているとのことです。
その代表を通して、僕も松平勝男先生とお近づきになれ、時々、書簡の遣り取りもさせていただいております。
やはり、語学・勉強法と多くの著作を出されているのも頷けるほど、極めて知見の広い、「さすが東大法学部」と唸らせる方です。
そう感じることができるのも、そう違わない時代に青春を生きた者として共有できる精神的土壌があるからかもしれません。(どんな時代にも偉くなりたいだけの人はいますけれど…)
そんなこともあって、僕とは文理の違いこそあれ、非常に近い共通認識を持っておられる方と感じました。
偉そうぶるために勉強する人たち
同じ東大法学部を出ても、政治家や官僚や評論家等有名な人たちを見ると、その名を貶めているような人しか目につきませんから、世間では「東大出ても糞の役にも立たない」「結局、自分らが偉そうぶりたいから東大に行ったんじゃないの?」と思わせてしまっているのかもしれませんね。
僕たち理系の人間から見れば、「事務処理能力さえあれば誰でもできる仕事でしょ。大したこともしてないのに何を偉そうぶってるのよ!」ってところです。
仮にも東大を受験し合格してきたわけですから、人間として全面的な成長を伴っている筈なんですが、やはりそうでもなく合格できる人もいて、そういう人に限って権力志向が強いということなのか、あるいは、合格した途端に全面的な成長を放棄して、権力奪取だけのためのガリ勉君になってしまうということなのか、権力組織に帰属した途端に偉そうぶる方向に走り出してしまうようですね。
さて、松平先生に対し、僕が感心し、僕とは全く出来が違うことが明白になる点は、文系にもかかわらず、【実用数学技能検定準1級】・【TOMAC数学能力検定最高Dグレード】をお持ちだというところで充分でしょう。
さらに、ゲーデルの「不完全性定理」についても造詣の深いお話をしていただくことがありました。
僕もイメージでは分っているつもりなんですが、厳密に数学的に理解しようとまでしたことがないんです。
僕はというと、自分の専門に関する実務資格ですら取っていません。
別に資格が無いと仕事が出来ないというものでもなく、取ろうという気にすらなったことがないのです。
仕事が激務だったということもありますが、そもそも業務が事務的なものではなく「考え倒す」ことでしたから、「必要な資格」なんてもの自体がありません。
CADの時代になってからはCADに関する資格も出来ていましたが、それこそ操作の達人になる暇があれば考えろよ的な仕事でしたから、結局、一生資格とは無縁のようです。
まぁ、元来からなまくらですから、そういう仕事しか選ばなかったということかもしれません。
この点は、僕は松平勝男先生の足元にも及ばないことは自認しており、せめて英語ぐらいは英検でもTOEICでも受けておけばよかったかなという思いはあります。
ただ、僕は理系ですが、昔から哲学や仏教などは好きで、純文学はほとんど読みませんけれども評論や社会科学系の書物はよく読みます。(ビジネス書やノウハウ本も一切読まないですが・・・)
松平勝男先生との遣り取りでは、哲学や社会科学の知見からお話される場合が多いのですが、僕がある程度の枠組みを理解できるのも、そういった背景があるからだと思っています。
専門バカにならない勉強をしてください
理系となると、やはり昔から理系バカも多く見られたのですが、昔の偉人を眺めてみると、デカルト然り、ガリレオ然り、名を残している科学者や数学者の多くが、同時に哲学や社会科学にも秀でていますね。
松平勝男先生は語学の達人・語学のオタクの要素が強く前面に出ていますが、総合的に眺めるとこれら昔の偉人の範疇に属する方なのですね。
専門の法律だけではなく、あらゆる人文諸学から自然科学・数学にまで相当なハイレベルで精通しておられます。
こういう風に整理していると、現代が如何に専門分化され過ぎて、それしか知らないという狭量な専門バカの時代になってしまったとつくづく思われます。
NHKでは「ドクターG」なる番組をやっていますが、医者の世界にしても全体を見て判断できる方が少ないのだろうなという気がしますし、製造の世界でも全体が分かる管理者が本当に少なくなったと耳にしたこともあります。
松平先生となまくらな僕との接点は、「学ぶ」ということの本質や面白さを誰にも放棄して欲しくないという願いが深くあるというところだと思うのですが、そこには、重箱の隅のことには詳しいが重箱の全体のことは何も知らないというような人にはならないでねという願いも込められています。
松平先生は「革命か反抗か」と問われれば「反抗」だと仰っていましたが、僕も実に同じ気持ちです。
軽薄なコマーシャリズムに踊らされて大切な時間を浪費させる企みに対する「反抗」の思いが非常に強いという点で共鳴しあっていると感じています。
誰をも思考停止させて自堕落にしてしまうことでリピートの利益を上げようとする商業主義の企みに乗らず、たとえ牛歩でも自分の喜びとなるような確かな知性を磨いていくことに頑張っていただきたいですし、自分自身もそうありたいと心を引き締めています。