教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ

教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ

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この問題は、昨年2017年11月に「教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ」と題して、朝日新聞に掲載された記事にあったものの一つです。

国立情報学研究所の新井紀子教授らの研究グループが調査した結果をもとにした記事なのですが、すでにネットでは見ることができませんので、当時に、これを話題にしたサイトをリンクしておきます。

冒頭の問題の正答率の低さなどは、タイトルにあるような「読解力」以前の問題(「読解力」に失礼)だと私たちなどは考えてしまうように、本来は、「読解力とは何じゃいな?」から話を始めないと、論点が噛み合わないことが多々出てきてしまいます。

ところが、上記の問題であれば、問題文の「35%」が何に対しての割合なのか分からないなどという批判が出たりします。

「その出身国を見ると、」という文章の流れから、アメリカ合衆国以外の外国人選手を全体とした35%であることは、ある意味、常識として読み解かれると私などは思うのですが、それは「忖度」まで考慮しろということであるから、この問題自体が悪問であるという意見もあります。

確かに、私のような技術系がこの手の問題を作ったとすれば、「アメリカ合衆国以外の外国人選手の35%」と、ダメ押しする表現にするか、この文言を単独で際立たせるように文章を分割するであろうとは思いますが、「アメリカ合衆国以外の選手→その出身国→ドミニカ共和国がもっとも多くおよそ35%」という文脈から、アメリカ合衆国以外の外国人選手を全体とした35%であると読み解くことが常識としての読解力だと思います。

定義の是非から始めますと冗長になってしまいますので、ここでは、読解力を「文章で表現された内容を、文章構造や文脈や常識から論理的に的確な分析をし、理解・解釈する能力」という私自身の考える定義として話を進めます。

この手の問題が出来ない原因は、むしろ常識として知っておくべき基礎知識や言葉を扱う力が、教える側の怠慢あるいは教えられる側の怠慢によって著しく欠如しているという分析をするしかないと思われます。

中高生の読解力がピンチの現実

問題の答え自体は、この論議がどう転ぼうと明らかですから、それでも、この正答率の低さということには驚きを隠せませんでした。

読解力がないからなのか?いやいや、ひょっとして、円グラフ自体の意味が分からないのか?と…。

そんな折に、普通レベル高校(むしろ全体から見れば上3分の1に入っているレベル)の大学受験コースの教科書掲載題材の感想文を見る機会がありました。

まぁ、その酷さに驚くばかり。
授業で習っているにもかかわらず、書いてあることがチンプンカンプンで文章としてすら成立しないものが多いこと。

大げさと思われるかもしれませんが、本当にそう感じたので書きます。

私が小学校6年生で親父を亡くした時にクラスの皆が綴ってくれた文集にある誰一人よりもマシと思える文章は、高校生4クラス分の中で2~3人ぐらいしか見当たらなかったのです。

世代の相違にだけ還元することはできない問題であることはもちろんですが、それでもネットが普及してからの、特にスマホが普及してからの「見出し文化」「キャッチコピー文化」の百花繚乱ぶりが、読解力にインパルス的な悪影響を与えたのではないかと思わずにはいられません。

社内メールが伝達の用をなさないといった某会社事情に関する大手メディアの記事も見受けましたけれど、あながち大げさではないのだろうと推測してしまいます。

2010年代前半の頃ですが、松平先生も、自分の出された電子ブックをアフィリエイトしている人々のページを見られて、「私の生徒だったらそれこそ居残りで勉強させたいくらい国語力がなんともいいがたい方もおられます。」と呆れられていたことを思い出しました。

現代文Bの教科書に「大人への丸太」が掲載されているからでしょうか、「人生は一箱のマッチに似ている | 大人への丸太」ページの閲覧数が非常に多いですので、読解力がテーマの本ページで、ついでにご紹介させていただきます。

実は、「帝都大学へのビジョン」本編の「6時間目:国語!国語!国語!」において、これも現代文Bに掲載されている教材らしいのですが、丸山真男氏の「日本の思想」(なんと懐かしい!)を素材とし、ユニークな英語との融合問題を解説しています。

よろしければ、是非ご一読くださいませ。

ネットで見かけるけったいな「読解力をつける方法」

7回読み勉強法

それはともかくとして、読解力としてではなく勉強法としてなのですが、東大主席弁護士(?)の方が書いた有名な(?)「7回読み」があります。

「法学部から上級官僚になって弁護士をするような方は、マジでこんな勉強法をするんだ!」と驚きました。
私たちとは住む世界が違うんですね。

そもそも、「東大主席って何?」って話になってしまうんですけれど…。

普通の民間人ですから無名ではありますが、同じ東大法学部卒でも知識人でマルチリンガルの松平先生とは、雲泥万里の差があると思いました。

おそらく、一つのテーマで議論を交わせる機会があれば、どんな分野であろうと、この著者などは第1ラウンドでKOされてしまうでしょうし、自然科学の論議ともなれば、数学や自然科学でも私以上の知見を持たれている先生ですから勝負にもならないでしょう。

また、「世界の〇〇」などと自分のことを形容されているのにはびっくりしましたが、京大卒の方が「現代文の勉強のやり方=教科書の本文を10~100回読みなさい」と書かれているのを見たときには、呆れかえるのを通り越してひっくり返りそうになりました。

少子化の追い風に乗ってか、こんなことを宣う方でも簡単に京大に入れちゃったんでしょうね。
まぁ、商売上使ったらお得だと知って、わざと嘘のレトリックを仕立て上げているのかもしれませんが…。

「7回読み」なら、まだ、そういう社会もあるのかなと思えるのですが、それですら、法曹界以外に進まれる方以外にはお勧めするのは憚られますし、特に理系に進まれる方には100%お勧めできません。

そんな暇があれば、他の勉強に充てた方が賢明であることは誰が考えても明らかです。

しかし、さらにさらに、ネットの某スカイプ指導塾では『同じ文章を10回、20回と読めば読むほどその文の理解度は上がっていき、100回になるとその時点での自分の能力の限界まで理解できるようになります。そして、100回読んだ文章が30文を超えると、普遍的に理解度が上がり、「根本的読解力」も上がります。』ですって!

嘘か本当かは分かりませんけれど、東大教育学部卒だそうですよ。

このスカイプ塾に書かれているポイントはすべてが的外れもいいところです。
「とにかく暗記!そのためには・・」というスタンスですから、とても東大卒とは信じがたいですね。
おそらく記憶術選手権で優勝できるような特殊な方にしか効果がないことは確実と思っただけでした。

こんないい加減な商売人の修辞に心を動かされているようでは、それこそ100万時間勉強しても、何の効果も得られないことを断言しておきましょう。

まぁ、浮ついたタレント評論家やいい加減なことを商売にする商売人にはなれるかもしれませんが…。

3回読んで分からなければ、その時に4回目を読んでも無駄です

私なんかは、普通の文章でも、3回読んで分からなければ、その段階で4回目を読んでも無駄と確言しますけれどね。

念のために、いろいろな友人に聞いてみましたけれど、「極めて正論」と言われますけれどね。

ましてや、算数や数学の問題文が理解できない場合などは、それはもう、読解力以前の読解力の前提条件の問題です。

例えば、冒頭の問題に正答できなかった人が、7回読んだら正答できますでしょうか?
10回や100回読んだからといって意味が理解できるとでもいうのでしょうか?

ここまで来れば、もう言いたい放題って感じがしてしまいます。

読解力とは、国語的な語彙力や文法理解力をベースとしながら、常識力や暗黙の了解をも含めて、文章を論理をもって分析し、理解していく力です。

そこには、言葉を扱う常識的な力は当たり前の前提条件としてあるわけで、そこが危ういとなれば、普通に書かれている読解力の記事とは全く話も別になります。

「言葉を扱う力」に関しては「帝都大学へのビジョン」本編で本質と解決法を記していますので、問題文からして理解できていないと思われる場合は、こちらから出発してください。

一般的に語られる読解力の話に戻りますが、こちらは、純粋国語的な知識と論理的な力、考える力の総合力が必要だということであり、ただ本を何回も読めば済むような問題ではありません。

やはり、「読む → 理解する → 解説を見ながらネックとなっている要素を見直す → 自分で要約文を書いてみる」を往ったり来たりしないことには読解力は養われません。

そういった意味で、7回も10回も読むよりも、はるかに有効なことがあります。
勉強法をやみくもに記事にしている一群のライターさんでは、とても書き得ないことだと思いますが、論理力を鍛えるということです。

同じ文章を、7回も10回も100回も読むくらいなら、論理として何故そうなるのかを勉強する方が、よほど有効です。

それ以前に、生活の中で考えるという営為をする習慣がなく育った子であれば、もう読む回数の問題ではありません。

論理トレーニング101題 | 野矢 茂樹

少なくとも、大学受験生なら、現代文の参考書を勉強するのと同じぐらい、下記の書を1日1題、解いて解説を読まれることから始められる方が、よほど有益だと思いますので、短い例題とともにご紹介しておきましょう。

野矢 茂樹先生の『論理トレーニング101題』【第1章:接続表現に注意する】より
見出しからして、現代文の読解力と関連が深いことを示唆示唆していますよね。

7回読み勉強法

見るからに参考書・参考書したものや問題集をあてがうより、確実に論理の要となる「接続語」を面白く、鮮やかに印象付けることが出来るのが本書です。(もちろん、それだけの内容ではありませんが、問題文さえ理解できないのは、この基本が欠落しているからです。)

タイトルは堅いですが、私も予想外に次々と正解できることもあって、はまってしまったほど、分かりやすく面白い内容です。

その分お高いですが、何の価値も無い俗本でも1,000円程度の価格が存在することを思えば、本来は∞倍でもおかしくないところが、2倍程度で済むのですからありがたいことです。

さすがに、一般読者に書くべきことを心得た知識人学者さんです。
こういう真摯な学者さんは滅多にメディアには顔を出しません。

地に足をつけて地道に真実を追求する方の書籍にこそ、目を向け参考にすべきことが多く書かれています。

こういった良書を見つけ出す行動も自分の人生を好転換させるための一つの大きな力です。

7回読みだとか100回読みだとか、そういう軽薄なことを無責任に堂々とのたまう方の方の書籍に惑わされるより、100倍は効果があるでしょうし効率的です。

同時に、教育熱心な親が普段の生活ですべきこと、心がけることはただ一つしかありません。

それは、「帝都大学へのビジョン」本編で言及している外山滋比古先生のただ一言の箴言で事足りることでした。

問8:次の空欄にもっとも適切な接続表現を入れよ。

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野矢 茂樹 『論理トレーニング101題』【第1章:接続表現に注意する】より

我が娘は本をほとんど読みませんでしたが、今、高校の国語と社会の教師です

実は、私の娘は、小学校時代からほとんど本を読みませんでした。
今でも、必要な時しか本は読まないようですし、傍から見ていてもそうです。

実は、あまりに本を読まないので、家内が中学3年生から3年間、Z会をやらせることにしたという経緯があります。

今日、我が家にやってきて、自分の教える生徒たちが、なんだか新たな入試選抜の枠組みに出願する為に提出しなければならない小論文形式のレポートでの相談がひっきりなしで、休み時間もないことや、相談内容のお粗末さで、「もう切れそう!」という話しをしていきました。

その時に、「Z会は、大きかったわぁ!」と今さらながら振り返っておりました。
「返ってきた添削は真っ赤やったけど、あれで、もの凄く力が付いたんやと思う」と…。

3年間頑張って通したら、最後には会報に優秀者として名前(ペンネーム)が載って嬉しかったとも..。

私も、このサイトのどこかで「Z会は国語」と書いていると思うのですが、自身もある意味、京都大学の書かせる国語に照準を合わせてZ会を選んで正解だったと思っています。

Z会の添削者のレベルの高さ、そして何より、同じ高校生であるZ会員の投稿のレベルの高さ(精神年齢の高さと言うべきかも)に驚き、そのレベルに自分も到達したいと思えたことが何よりの価値だったと振り返ることができます。

これを読んでおられる保護者の方には不愉快かもしれませんが、今のZ会の優秀者でも我々の頃に比べれば相当劣るのではないか、娘の話を聞いた限りでは、上位3割程度の偏差値レベルに存する高校でも小学生並になってしまったと思わざるを得ません。


ここからは、上記で空白にした箇所を、会員様限定で本編の補足としての例題、及び、この言葉の扱い方をクリアーして以降の本来の意味での読解力・表現力の前進のためへの重要な心構えを「〇〇の汗をかく」として記しておきましょう。

また、上述しました「帝都大学へのビジョン」本編の「6時間目:国語!国語!国語!」の最終項で示した現代文の問題でも、接続語を穴埋めにした設問がありますので、その解説をこそじっくりと咀嚼してみてください。

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