算数や数学のセンスは先天的とか後天的とか、おら知らねぇ

算数・数学センスへの扉

算数や数学のセンスが先天的か後天的かという論議は、古くから尽きることなく続いているのですが、

  • 数学が出来ない人は「先天的だ!」と吐き捨て、
  • 数学が出来る人は「後天的だ!」と仰る

これが、たいていの構図だと思いますが、如何でしょうか?

要は、興味が持てれば手が動きますから、どんどんセンスが磨かれて来ますし、興味を持てなければ手を動かそうとしませんから、耐えがたい時間を凌ぐだけでセンスなどは生まれようもないということです。

よく、「何故だろう?」という子どもの疑問に上手く答えられないことが子どもの興味を潰すという論が語られます。

もちろん、大局的にはそうなんだろうと思いますが、疑問すら持たなかった子が、何かの拍子に突然興味を抱いたりすることもあります。

どこまでが先天的でどこからが後天的などとの線引きなど出来るものではありません。

ただ、言えることは、前者は「先天的だ!」という言い訳をすることによって、数学のセンスがあることによるメリットを自ら放棄してしまっているということだけは確かだということですね。

そして、こうなってしまうケースの多くは、算数や数学の世界に留まらず、あらゆることに対して連鎖するものです。

スポーツができないと「スポーツなんかできたってクソの役にもたたねぇ」、音楽ができないと「音楽なんてクソの役にもたたねぇ」と、あらゆることに対して「できない自分」を正当化しようとするものです。

そのことこそが問題なのですが、その言い訳体質こそが「先天的なのでは?」と切り返してはダメですか?

これは冗談ですが、おおかたの本当の舞台裏は、努力してどんなことでもトライすることに意味があることを、環境から教えられなかった、学ばなかったということに尽きるでしょう。

ここでは、不毛の論議は控えて、算数や数学のセンスの扉を開けるためのいくつかのヒントを時とともに重ねていこうと思います。

センスとは「理解力」と「分析力」から生まれ「連想力」「想像力」に帰結するものであり、真剣に刻んだ経験と比較対照しながら知識を整理していく経験の場数を積み重ねることで生まれてくるものです。

音楽のセンスも同じじゃないですか?

その結果、音楽の音色も数学の数式も美しくなっていくのです。

数学の場合、その出力は積み重ねをしない人には単に「ズルい」と映ってしまうわけです。

算数・数学センスへの扉

  • 169や196という数字を見れば、瞬間的に何かを想起しますか?(小学生以上)
  • ガリレオ先生

    もし、瞬間的に想起するのだとすれば、君は問題の場数をある程度踏んだことで、その結びつきをはっきりと意識する時を刻んだということ。

    君が不動産会社に就職すれば、「180㎡でほぼ正方形ですから、縦横の長さは約13mと14mの真ん中ぐらいですかね!」と即答できることになる。

    次の項目のように13×13、14×14は暗算でもできるけれど、これぐらいの数なら計算すらせずに「169、あっ!13×13じゃん」と自然に反応できるまでに対応しておかなくちゃいけません。

    暗記じゃないですよ!一つ一つを丁寧に積み重ね、一つ一つから教訓を得る積み重ねからしか身に着きません。

  • 17×18や19×16という計算を見て、暗算で答が出せますか?(小学生以上)
  • ガリレオ先生

    前の例の逆算になる13×13、14×14は、頭の中で暗算で出る訓練はしておきたいもの。

    本例の前者だと、17が10個の170に、17が8個の136を足して306と答えを出す子が多いのじゃないかと思いますが、結構時間がかかるんじゃない?

    それに、なんだか間違える確率も高くなりそうだから、間違えるぐらいなら筆算をした方がまし。

    でも、もっと瞬間的に答えを出す方法がある。

    片方の17に他方の一の位8を足して25。(片方の18に他方の一の位7を足しても同じ)
    これは百の位と十の位と考えて250。次に、7×8=56。この2つを足して306が答。
    筆算の形をイメージすれば、もっと即座に出来る。

    知ってる子は知ってるだろうけれど、べつに知らなくても全然かまわない。
    しかし、理由を必ず考えてみて。そのことこそがセンスに繋がっていくんだよ!

  • 与えられた式の中にという並びを見れば、瞬間的に想起することがありますか?(高校生以上)
  • ガリレオ先生

    おそらく、相加・相乗の不等式は、そのままの形が出てくるから気が付くでしょうが、もう一つの基本的な式を連想してほしいね。

    という式なんだけれど、√が入ると気が付かないのではないかな?

算数のセンスを身に着けるためのスタートラインは、最も上流にある源泉中の源泉「数に対するセンス」を鍛えることに尽きます。

すべての単元に絡んできますから、綜合的な算数力・数学力を決める要になります。

2009年にZ会の担当者様よりいただいたメールでは、かなりできる層ですら明らかに数学力は落ちているようですから、スマホ三昧の今ではどうなのかを想像すると恐ろしい気もします。

ただ、どの国でも同じ傾向ですから、少しは安心できるものの、韓国と肩を並べて世界有数のエンタメ好き・情報弱者であることは間違いない種族のようですから、相当世界の中では厳しいポジションに堕ちていくことは容易に想像されます。

たとえ、難関の進学校に入学できても、中高と進むにつれて数学ができなくなっていく場合は、ここが鍛えられていないことが表面化してくるということに過ぎません。

中学受験を目指すお子さんの保護者さんにも、算数・数学のセンスを養う源泉を突く資料を揃えておりますのでご参考にされてください。

まぁ、いつの時代も変わらぬ真面目な層を除いては、

  • あまりにも、日本語の語彙レベルからして理解できていない。(とうてい。読解力などのレベルではない:大きくはスマホの影響でしょうが…)
  • 感情を表現する言葉だけには長けているが、論理的な接続など全く意識すらない。
  • したがって、数学語に変換することができませんし、いくらヤクザな社会でも必要とされる論理性すらないことにどうも思わない。
  • ですから、逆に数学語を日本語で理解する気もないし、しようともしない

これが、ゆとり教育で落ちたところに、さらに追い打ちをかける社会現象となっています。

ぶっちゃけた話、2012年以降は、マジョリティと呼ばれる世界ではこういった状況ですが、悲しむべきでないのは、そうならない層はいつでも健在に存在するということです。

詳しくは、