勉強しない子どもへの親の関わり

今日は、保護者さんからの『やる気』に関するご相談やご質問が多いことに関して、もう一つ親の関わりという視座からまとめておきたいと思います。

【間違いだらけ?『やる気』の出し方を求めて三千里】において提示したグラフをもう一度提示しておきましょう。

保護者の関与と学力・やる気の相関
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意欲をもった大人に成長してほしい!

これを見てお分かりいただけるように、子どもさんの『学力』に与える影響因子としては読書活動が最も大きく、信頼関係・コミュニケーションは比較的低いのですが、子どもさんの『学習意欲』に与える影響因子に関しては一転して、信頼関係・コミュニケーションが及ぼす影響の方が俄然大きくなって来るのが特徴的です。
(小学校・中学校とも)

前回分析しましたように、意欲全般を持つことと学力とは別物として考えなければなりません。

『意欲』なる側面から眺めますと、意欲は何も勉強面だけに向けられるものではないということと、たとえ勉強面に向けられたとしても、勉強の仕方が的外れであれば学力には反映されないという2点でおおよそ説明がつきます。

せっかく学習意欲が湧いても、達成感が実感されないと、数日で元の木阿弥になってしまいます。

初期における的確な勉強法の持ち合わせの有無が如何に重要なことかを示唆する自然現象と言えましょうか!

『子どもさんをやる気にさせる』に関するネット情報では、ほとんどが『やる気にさせる○○勉強法』という結末にリンクされますが、現実的なご質問やご相談を見ると、「今そこを突っついても本質じゃないでしょ!」と判断される場合の方がはるかに多いのが現実です。

かと言って、意欲を持たない限りは学力には繋がりませんし、たとえ学力には繋がらなくても意欲をもって生きていける姿勢を持つことだけでも、親御さんにとっては喜びであり教育の成功と言っても過言ではありませんね。

先ずは何にしろ、意欲をもって大人に成長してほしい!

ここが、最低限の確保ラインとなることに誰も異存は唱えられないでしょう。

勉強法は勉強への意欲という限定したゴールに至らせるための一つの方法であり、パラには進めるべきことですが、これが効くのはあくまである程度の前向きな意欲を持とうとしている一部のお子さんのみであり、多くは、それ以前の生きる姿勢という土台にほとんど着手されていないという根源的な問題が横たわっています。

その前段階となる一般的な意欲に関しては、

親御さんの子どもさんへの働きかけ・子どもさんの親御さんに対する信頼度

が大きく影響していることが伺えます。

もちろん、学習意欲に関しても同じことが言えるでしょうが、どの分析でも意欲に関してはその強度が数値化しにくいためでしょうか、細かな項目分析がされておらず、学力に関しては下記のような項目分析が報告されているのみです。

保護者の子どもへの働きかけと『学力』の関係

  1. 保護者さんの子どもへの働きかけと『学力』の関係において、学力差が特に顕著に現れるプラス関与は、
    • 本(マンガや雑誌を除く)がたくさんある
    • 子どもが小さいころ、絵本の読み聞かせをした
    • 子どもが英語や外国の文化にふれるよう意識している
    • 博物館や美術館に連れて行く
    • ニュースや新聞記事について子どもと話す
    • 毎日子どもに朝食を食べさせている
    • テレビゲームで遊ぶ時間は限定している
  2. 一方、学力差が特に顕著に現れるマイナス関与は、
    • ほとんど毎日、子どもに「勉強しなさい」という
  3. さらに、親御さんの働きかけではなく、親御さん自身の普段の行動に目を移しますと、

  4. 保護者の普段の行動で、学力差が特に顕著に現れるプラス行動は、
    • 本(雑誌や漫画を除く)を読む
  5. 逆に、保護者の普段の行動で、学力差が特に顕著に現れるマイナス行動は、
    • スポーツ新聞や女性週刊誌を読む
    • テレビのワイドショーやバラエティ番組を見る
    • カラオケに行く
    • パチンコ・競馬・競輪に行く
    • 携帯電話でゲームをする

これらの結果は、一言で言えばどういうことでしょうか?

子育てって「こうしてもああならない」もの!

仕入れただけの「こうすればああなる」情報を付け焼刃でいくら実践しても、それよりも、普段の親の生活態度から受ける影響の方が容易に沁み込みやすいということを示しています。

また、これらの報告を耳にして、子どもに勉強する気になってもらうために、小学生のお子さんなら「読み聞かせを始めるぞ!」「英語に触れさせるぞ!」「ニュースについて子どもに話をするようにしよう」と決意されても、目論見通りになってくれるかというと、そうは問屋が卸しません。

これらのプラス要因は、ぶっちゃけた話当てはまらない場合も多々あります。

こういった統計データによって、しばしば見落とされ錯覚させられてしまうのは、統計学では常識なのですが、「相関関係と因果関係は違う」ということです。

帝都大学へのビジョンを執筆した3人とも、特に本を読み聞かせされたことも美術館・博物館に連れて行ってもらったこともなく、ニュースについても親と三面記事のこと以上に話したこともなく、特に家に本が多かったわけではありません。

3人共に共通していたのは「朝ご飯はきちんと食べさせてもらった」ことぐらいでしょうか。
「だから、朝ご飯をきちんと食べさせれば頭がよくなる!」・・これがネット情報の軽さです。
そんなことで頭がよくなれば誰も悩みませんね。

ところが、「朝ご飯はきちんと食べさせてもらった」こと自体は、頭が良くなる以上に人間形成に重要な役割を果たしていることも確かです。
子どもさんの親御さんに対する信頼度の根底を形作る関与だからです。
この話を深めると止まるところがなくなりますのでやめておきましょう。

さらに、3人とも両親とも高卒で特に学もなく、私の母などは「勉強なんかなんぼできても(いくら出来ようと)、冷たい人間は人間のクズ」が口ぐせであったように、誰もが人の道を滾々と言い聞かせられた点では共通しているぐらいでしょう。

そういった意味では、皆、広中平祐先生のお母さんと同じタイプに括られるでしょうか。

また、実際に僕の友人や教え子の保護者など身の周りでは、

  • 毎日読み聞かせをしてもらっていた友人の子どもたちは立派に真っ当な大人に成長しましたが、特に学力が優れたということはありませんでした。
  • 保護者が教師で家には本がゴロゴロしていましたが、息子さんの学力が特に秀でたということはありませんでした。
  • 子どものことをかまい過ぎと僕が感じた保護者さんの子どもさんは例外なく保護者さんの高望みには届きませんでした。

水を差すようで心苦しいのですが、このように反例はいくらでもゴロゴロしています。
学力に関しては「こうすればああなる」という打算で実践されても実を結ばない可能性の方が大きいとすら言えるでしょう。

余談になりますが、最初の点に関しては、はっきり次のように言えます。

幼い頃の読み聞かせはほとんど全てが純文学的な童話の類であり、子どもの情緒を育て心を育てるものとして重要な要素となっていますが、学力と直接繋がる要素ではないと。

しかし、この情緒が育まれずに学力だけ育まれた秀才もロクなものにはならないと。

学力に関してプラスになる要因をアプローチしていくのであれば、そのアプローチ素材は星の数ほどゴロゴロとあります。

例えば、このデータで採用されているような働きかけ以外にも、【ゲーム感覚で楽しめる数字パズルのようなものを一緒にやろうと誘ってみる】

僕だって、アプローチの一つの方法としてそういうアドバイスを提示しますけれども、それがピタッと成功するなんてことは思っていません。

実際、最近ご相談を受けた小学生のお母さんも、面白問題に誘ってもダメ、ネットで仕入れたアプローチの何をやっても乗って来ないと言われていました。

また、自分が子どもの頃は「もっと本を読みたい」と思ったものだけれども、全くそれもなく自分の子どもが理解が出来ないとも仰っていました。

何故なかなかうまく目論見通りにいかないのでしょうか?

もちろん、作用する側の作用の仕方と作用される側の性質の組み合わせが千差万別ですから、当然と言えば当然のことです。

その上、何よりも経済を動かすために自堕落な文化を売り物にする世情から受ける影響は甚大です。
しかし、お子さんの先行きを考えるとそうも言っておられません。

最悪を避ける関りが子どもの信頼を取り戻す?!

  1. 受け入れる子どもの側の成長の相違、親の観察力の相違、親子の信頼関係の相違などに基づいて、
    • 親が何もしなくても勝手に意欲の源泉を見つけてくる子
    • 親の働きかけ一発で運よく功を奏す子
    • 親が百働きかけてその内の一つが功を奏す子
    • 親が百働きかけても全く功を奏さない子

    と様々であること。

  2. さらに、それぞれのアプローチに対して即効性のある場合もあればじわじわと効いてくる場合もあることを視野に入れながら子どもさんを観察していくことが必須であること。

これら2点を視野に入れないで、「こうすればああなる」という世間の噂話の形だけに囚われて性急な結果を求めているという点に一つの原因があると思われます。

その心は、子どもそこのけでの親の独りよがりとしての「ああしたい」があります。

そうではなく、むしろマイナス要因を出来るだけは排除することに注目することの方がより本源的なアプローチが見えるのではないでしょうか?

プラスを追い求めることよりもマイナスを無くすることを追い求めること。
『最悪を避ける』『最低限を確保する』考え方ですね。

ここに目を向けると、どっこい子どもにひたすらプラスを求めている親の身勝手ぶりが鮮明に見えてきます。

考えてみれば当たり前のことではないでしょうか?

プラスを要求するということは、そのプラスが「あんたには出来てるのかよ!」って問い返しを受けることです。

親が惰性で生き生きと生きていないのに、子どもにだけ勉強しろだの意欲を持てなどと言われても…ですね。

ご自身を思い出されても、親に対して一番嫌悪したのは、矛盾する態度や首尾一貫性の無さではなかったですか?

保護者自身が享楽的な文化や野次馬根性に酔っているとまでいかなくても、人の為に生きるでもなく惰性で何となく面白くもなく生きている姿があれば、子どもさんにどう映るのか?ということではないでしょうか?

そして、生きがいの矛先が子どもさんだけに向けられて、あまりにも構い過ぎの方が多い印象を多々受けます。

そのような保護者さんも多くは、殊の外押しつけがましくないように接することを注意していることを強調されますが、そのことが逆に子どもさんには押しつけがましい態度以上に重圧になっていないかということを感じるばかりです。

「経済を動かすために自堕落な文化が売り物になっている世情の影響は大きいものがある」と先ほど述べましたが、スマホ登場以降、この作用力は想像以上に強力なものであり、保護者さんは子どもさんがその渦中に呑み込まれないように見守るだけが並大抵ではない時代になっています。

ある意味、この作用力以上に、人間誰しもが持ってる本来的な喜びへの要求を引き出す作用力を及ぼそうという努力をしなければ、子どもさんはあちら側に引きずり込まれることになるかもしれません。