勉強も人生も戦略ありきの上に構築するもの!

※それぞれのご意見は、【****】にて若干編集しています。

M→松平先生 G→ガリレオ先生 B→運営者****

B

松平先生、ガリレオ先生、明けましておめでとうございます。

昨年は、いろいろと有益なお話をありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、早速ですが、2011年年頭にあたって、【****】をご覧いただく学生さんやその保護者さんに何かメッセージのようなものをいただければ幸いです。

G

明けましておめでとうございます。

実は、お正月に、松平先生の「試験合格プロジェクト」を読ませていただきました。

プロジェクトマネージメントの手法を採り入れたユニークな切り口であるとともに、読者の立場に立って非常に分かりやすく諭すように執筆されているなと感じました。
いつものことではありますが、指導者としてのやさしさ・心配りを感じましたね。

M

新年明けましておめでとう御座います。

「試験合格プロジェクト」をお読み頂きありがとう御座いました。
また、お褒めいただきありがとうございます。

世に言う受験本には「美しい思い出話」が書かれていますが、経験論を超えて、真に客観的に述べなければ、再現性のある方法論として人に問うことは出来ないのではないかという気持ちを込めて、出来うる限り経験を排除した書き方をしたつもりです。

ただし客観を余りに徹底しすぎると、なれない読者には読みづらくなるということもあり、そのジレンマに苦しみましたね。

G

なるほど、道理で僕にも平易に読めたわけですね。(笑)

普段、僕が先生にお聞きするお話は、相当に系統だった知識がないと理解できないですし、僕はその系統だった回路網が出来ていないので、先生の話をお聞きしながら回路を繋げていっているところなんですが、こういったことが実に面白いですね。

学生さんはもとより資格試験にトライする受験生さんにも、そういった面白さを感じることが出来るようになればしめたものですよね。

M

「試験合格プロジェクト」の隠れた意図の一つもそこに繋がっているんです。

苦労して勉強すること、それ自体が後の人生にとって役立つ

ということを述べたいという思いですね。

何事かを計画し、それを達成するという営みは勉強だけに限られるわけではありません。

当然仕事にも、家庭を守るにもプロジェクトマネジメントの考え方が必要だと考えるのです。

G

言われてみれば実になるほどと思うわけですが、プロジェクトマネジメントの実経験がないことには、なかなか結び付けられないですね。

マネジメントの切り口で書かれた学習法本はあまり見たことがありません。

僕も、真似して、自分の範囲で何か結びつくものはないかと考えてはみたのですが、

JIT(ジャストインタイム)生産方式に流れている「今すぐ」の思想が、時間管理の要素として学びに関しても大切なものだ

ということを再認識しました。

某超優良一流企業(人型ロボットで少し有名になりましたが一般の方はあまり馴染みがないかもしれません)なんかは、工場での生産効率を上げるための改善事項を現場で話し合い、皆が有効だと判断すれば、すぐに段ボールでまず試作してやってみるんですね。

そういったことが日本の生産技術を世界一にして来たんだと思います。
ノーベル賞だとか賢そうに見える科学の世界とは全く次元の違った営みも同じように尊いということも知ってもらいたいんです。

B

ところで、お二人の学びに対するスタンスは、かなり似通っていると思うのですが・・・。

G

メールなどを見ていても、「人生戦略」や「己が人生」というものを全く考えず、目先のことばかりを行き当たりばったりに追っている様を強く感じることも多く、まさに小手先だけで一定のステータスを手に入れたいという身勝手な欲望ばかりが目に付くと感じることも多いですね。

やはり受身的な文化、それも刺激的で享楽的な文化、何か生きる力を吸い取ってしまうかのような文化に対抗しなければ、こういった勢力によって骨抜きの社会にされてしまうのではないかという危惧がどうしても拭えません。

まさに、狂気の沙汰から正気を取り戻したいという気持ちを強く持っています。

M

「戦略」がないままに「戦術」として小手先の業だけを「ウラワザ」として覚えたい人たちへの警鐘の気持ちはあります。

甘い夢を抱く自分を自己否定して、本当に自分がなすべきことに戻って欲しいという願いは全ての本に共通しているんですね。

「記憶術」の達人になろうと『速読術」の達人になろうと、「人生戦略」を過つと、曲芸が出来るだけの変わり者になってしまうのではないでしょうか?

必要な人が必要なタイミングで使ってこそ、戦術は生きるのです。

「試験を受ける」ということでさえ、「数ある戦術の一つ」に過ぎないのです。

もっといい方法があれば、それをとればいい。
「いい」「悪い」の判断の基準は、もちろん「戦略との適合性」でしょう。
じっくり「人生戦略」を若い人たちには立ててほしいと思っています。

究極的には「あなたにとって何が幸せですか」ということに他ならないと思うのですが、人間は一生考え続けなければならないのでしょうね。

そして戦略、戦術の微修正を常にしていかなければならないのでしょう。

抽象的な方法論(例えば記憶術、速読術、一般的な学習法)は、ある意味一つのイズムです。
武術の流派といってもよいかも知れませんね。
様々な流派を中途半端に学んでも達人にはなりません。

それは、一つの流派を極めた上で、他流を学ぶこととは似て非なるものです。
そういうことも考えていただければと思っています。

B

少し話は変わりますが、松平先生には、先に東大で行われたサンデル教授の授業に関して、どのようにお考えなのかお聞きしてもよろしいでしょうか?

M

実は、先に東大で行なわれた講義は友人の某准教授が画策したものですが、「コミュニタリアニズム」と「リバタリアニズム」「リベラリズム」のそれぞれの立場の対立に議論の中で気づいてもらうために行なっているという話は耳にしています。

この話をすると、2000年の初めあたりにハーバードで行なわれたセミナーでのサンデル教授と井上達夫教授の間で行なわれた議論などにも言及せねばならず、話が長くなってしまいますので、かいつまんで述べさせていただきます。

サンデル教授の講義には、新聞をはじめとするメディアは飛びつきましたね。

一般に不況になると「ロールズ流」の「厚生的正義」が流行しますし、景気がいいと何でも自己責任とする「ノージック流」の「正義」が流行します。

真実はこの二つの両極端な理論の中間地点を揺れ動くのでしょうね。

サンデル教授がしておられるのと同じく、「経済的自由と弱者保護原理が矛盾するような極限状況を想定した議論をすることで、互いの中に存在する無意識の道徳的、民族的、歴史的その他共同体的価値観に気づかせることで、再度「正義論」を述べる原点に帰る」という葛藤に意味があると思いますし、様々な問題解決の道はここにしかないのではないでしょうか?

サンデル教授が言っているから正しいという考え方では、サンデル教授もきっとがっかりされることでしょう。
彼は結論ではなく、常に問いかける方のようですから。

日本人には何故か「論理的」と「理論的」を混同しがちなような気がします。

「理論的」とは何らかの「理論」に基づく考え方です。

客観的で抽象的なものではなく、そこにはイズムが関わります。

イズムを否定するのではなく、イズムの存在を理解したうえで、語り合ってほしいと思うのです。

G

その語らう上でも、相互理解に必要なのは論理的に語らうということですね。

また、松平先生が仰っていた、論理的に読むということこそが記憶術であり速読術なんだということや「魔法の技、理想郷ガンダーラを求めるよりも、学ぶことの根本に帰る。」には、僕も全く同感でして、学びというものの柱はそれしかないと思っています。

商業主義にとっては不利だということもあるのでしょうが、今、それを語る人があまりにも少ない。

日本は、どんどん知力後進国に地位を落としていく予感すらします。

僕はハードの技術屋でしたから、科学に比べればレベルが低いとはいえ、日常業務全てが論理性だけで進められるわけですね。

逆に言えばそれしかないわけですから、論理的であることは我々にとっては簡単と言えば簡単なことなんですね。

ところが、文系諸学になると、論理性というものが極めて捉えにくいものになる。

松平先生は、次回は「論理の整合性」について、まとめられようとされているとお聞きしております。

僕も論理数学の分野ぐらい寄稿できればなどと思っていたのですが、残念ながらそこまでの環境を整えられない事情もありまして、ただただ楽しみにしているばかりです。