変わり行く時代の中で | 佐渡山 豊
佐渡山 豊 変わり行く時代の中で
変わり行くこの時代の中で
僕は今 みんなと生きていたい
佐渡山 豊 「変わり行く時代の中で」 より
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最良の魂 | 沖縄フォーク村 佐渡山豊
2001.08.15著
70年代前半、大学生だったころ沖縄フォーク村の佐渡山豊さんの唄に酔った。
「変わり行くこの時代の中で 僕は今 あんたと生きていたい」
このフレーズが特に好きだった。
アルバム『もっと近くへ』が発売されるや否や速攻で買った。
ちょうど、サイゴン陥落の頃だっただろうか。
研究室も同じだった同学年のベトナム留学生を気遣った頃である。
彼は帰化して、院卒業後、僕と同じ会社で仕事をすることになった。
言葉通り、『変わり行く時代』の可能性が、まだ当たり前と感じられた時代環境の中で、『あんたと一緒に生き続けたい』と願う共同体意識が若者の心に残っていた時代が思い返される。
「だから、近くへ~、もっと~近くへ~~」という佐渡山さんの感性が自然に身体に溶け込んで来た。
「うちなんぐちを使おうよ」という沖縄の響きを今もはっきり思い出す。
内から沸々と湧き出る人間としての「最良の魂」がそこにはあった。
ダビングして、社会人になってから、好きだった彼女にこのテープを贈った想い出がある。
時は流れ、1997~2000年、インターネットにて【佐渡山豊】で検索しても、その名が出てくることはほとんどなかった。
『変わり行く時代』の可能性を若者が捨て始めた頃、ちょうど僕が社会に出た70年代後半頃から、佐渡山さんをもう見ることも聞くこともなかった。
そんな佐渡山さんが、2001年4月に復活!
CDと詩集『空っぽな空から』
その当時、僕は、「僕も久しぶりに「魂」を感じたいと思う。」とネットでしたためていた。
そして今、佐渡山さんはいろいろと活動を再び拡げられているようだ。
もう随分前に、荷物の整理でレコードを捨ててしまった。
今度こそ、佐渡山 豊を聞かねば・・・。
- あまりにも有名な「ドゥチュイムニー(独り言)」
- 誰が歌うよりも好きな佐渡山の沖縄民謡「十九の春」
- 人間社会あり方のキーワードを散りばめた「変わりゆく時代の中で」
- 私の中では中島みゆきさんの「世情」とラップする「ナイフを捨てろよ」
- そして、願いをシンプルな言葉で表現した「もっと近くへ」
佐渡山さんの歌には、沖縄の風景を背景にした叙情的で美しい歌や身近な生活の息吹が溢れ出るような歌も多い。
70年代、強い影響力を持った魂が再び活動し始めたことは、性懲りも無く大きな過ちを犯せる土壌をたっぷりと醸成してきた、この「魂の空白時代」自らが、アラーム信号として要請しているものなのかもしれないと、ふと思ったりする。
忍び寄る戦争の臭い
何ごともなく平和に時は推移しているように思っている人も多いかもしれない。
しかし、何食わぬ顔をして「戦争」が忍び寄っている来ていることを感じる人も多いだろう。
戦後世代の私でも、10年前には無かったこの臭いが、この4,5年の間に確実に感知圏内に入ってきている。
他の人は感じていないのだろうかと思っている矢先に、童話「ガラスのうさぎ」の作者、高木敏子さんがNHKの番組でそのことを発言されていた。
とは言っても、戦前の臭いとは、おそらく性質は全然違うものだろう。
もし、今後、「戦争」という大きな過ちに再び日本が絡むことがあれば、今度こそは、権力の責任だけを問うことは出来ない。
少なくとも、意見は言え、意思表示は出来るのだから・・・。
『あんたと一緒に』、『変わり行く時代』の主役であろうとする魂
このキーワードこそが、自分で自分を疎外する社会からの脱却には必要不可欠だと思わずにはいられない。
この辺りで、宜しければ、彼の代表曲「ドゥチュイムニー(独り言)」を、何の解説も無しに無心に聴かれてみては如何だろうか?
「偽者と本物の違いはいずれ分かるだろう。共にきばろうよ!皆様方!」
何かがおかしい2000年以降 | No More Rain
2011.09.03追記 → 2012.03.27編集
僕が、この文章を書いた2001年から、インターネットは猛烈な発展を成し遂げ、今や、佐渡山 豊さんの曲もyoutubeでいつでも聞ける時代となりました。
何はともあれ、彼の代表曲「ドゥチュイムニー(独り言)」と2008年にリリースされた「NO MORE RAIN(世界が壊れる音がする)」を聞きながら読み進めていただければ幸いです。
魂のほとばしるその迫力は当時とほとんど変わることはありません。
【僕らが出会った最良の魂】が健在であることに喜びを隠し切れません。
プロパガンダはいつだって真実を 伝えられないもの
ゆがんだ力に秩序は乱れ 世界が壊れる音がする
no more rain 降らさないでおくれ
no more rain せめて子供たちの為に
佐渡山の「NO MORE RAIN」を聴くと、いつも併せて蘇ってくるのが「サンチャゴに雨が降る」。
僕が大学に進学した年1973年に起きたチリの軍事クーデター事件を題材にした映画です。
そして、その度に口をついて出てくる歌はチリ人民連合の歌「ベンセレーモス(我々は勝利する)」
歳経るごとに思いが強くなることは、人間社会の不幸というものは、おそらくイデオロギーによってもたらされるものではなく、人間の性によって操られ、もたらされるものであるということ。
その最たる現象が「軍隊」であり、軍隊を持つこと自体が様々な不幸を拡散させていく、いや伝染させていくという感をますます強くせざるを得なかったのです。
その根源にあるのは、ミヒャエル・エンデの言うように、やはり「お金」という怪物だと思うのです。
自由選挙によるサルバドール・アジェンデ政権の成立やチリ軍事クーデター事件のあらましを興味深く知るには、五木寛之氏の「戒厳令の夜」も超お勧めです!
ともに1973年に物故した3人の実在したパブロ(ピカソ、カザルス、ネルーダ)を軸に、架空のパブロが案内役となる構成であり、これほど面白い小説はまずないだろうと思えるほどの秀作です。
人間としての業 | 人類館事件に見る利己主義の極限
本ページの最後として、多くの人は知識として知らないままであろう「人類館事件」なる実際にあった出来事を歌ったメッセージソングをリンクしておきたいと思います。
決して時代錯誤とは言えない、内なる「人間としての業」に問いかけねばならない命題が含まれていると思うのです。
福島原発事故後1年。
もし、このまま時の風化のままに原発が温存されることにでもなろうなら、「もう、人の世というものは、全ての意味において、自力更生は無理」と結論せざるを得ないのかなとも感じています。
極東の要塞として本土から犠牲的な役割を巧みに押し付けられてきた沖縄。
東日本大地震で被災した東北。
加えて、原発事故被災に苦しむ福島。
「頑張れ」のエールとは裏腹に、東北の野菜は買わず、子どもの修学旅行や社会勉強としての東北行きに猛反対する姿も目にし耳にする。
福島原発の危険性を問われながら、根拠もなく「絶対に安全だ」と無視し続け、何も対策しなかった政府の面々は、福島のお米やお魚を食べる写真を取材させて、如何にも自分は被災者のことに寄り添っているポーズを取って人気取り。
私には、絶望的なまでの二重人格に見えるのだが如何だろうか?
第一次産業こそが私たちの命を命たらしめてくれている最大の恩人なのですから、今こそ、日常のそういう営みの中でこそ東北を支援しなければならないでしょうに。
僕たちは、自分と自分の周囲さえ良ければいいというのではなく、自分の生を支えてくれている遠い地の恩人との繋がりを深く認識し直さなければならないのではないでしょうか?
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