高峰秀子の流儀~見苦しい女たちの彼岸~

70年代 名画座にて 高峰秀子

高峰秀子の流儀

女優、高峰秀子を知っておられる方はもう数少ないのかもしれません。

60歳も越えた私ですら、ほぼ同じ時代を生きた母からよくその名前を聞いていた程度で、テレビで見たこともあるかないかも定かでない女優さんでなのですから…。

私が高峰峰子さんをはっきりと意識して出会うことになったのは、その後の学生時代のことになります。

私は映画が好きという程でもなかったのですが、それでもやはり学生時代は色々と思いを巡らせる最後の時ですから、映画も時々は見たものです。

今はもうありませんが、70年前半当時、京都の一乗寺という所に京一会館とという名画を上映する映画館がありまして、時々オールナイト上映に1人で行っていました。

当時は70年安保の残り香が色濃く漂っていた時代で無期限のバリスト(バリケードストライキ)は日常茶飯事でしたから、真昼間から観たこともあったかもしれません。

もちろん洋画から邦画までオールマイティなのですが、名画座といっても日活ロマンポルノもよく上映されていましたし、任侠シリーズも数多く上映されていました。

寅さんシリーズもしょっちゅう上演されていましたから、友人などは寅さんシリーズは全てここで制覇したなどと豪語していました。

ともかくも、洋画・邦画を問わず、人生を考えさせる名画や涙のチョチョ切れるような名画からロマンポルノまで、まさに映画の寄せ鍋のような名画座でした。

今となっては、この様態こそに本当の民主主義が具現されていたのではなかったのだろうか?と思えるほどに郷愁をもって蘇って来ます。

さて、私も男であり、しかも若かったですからロマンポルノも観ましたけれど、なんだか虚しさが残るだけでしたので、いい格好をするわけでもありませんが、事実それほど多くは見なかった一方、藤純子の緋牡丹お竜や高倉健の網走番外地などはよく見たものです。

別に、そういったものを観ることが進歩的だなどという意識は全くありませんでしたし、任侠が好きというわけでもありませんでしたが、お竜や健さんには何故か惹きこまれる、そういった感覚があったのは確かだったように思います。

そんな中、むしろというかやっぱりというか、思い出に残る素晴らしい映画に出会ったことの方が印象に強く残っています。

名もなく貧しく美しく | 父と子 | われ一粒の麦なれど

その中の一つが、松山善三監督(高峰さんの夫)作品シリーズとして観たシリーズであり、そこで初めて銀幕を通して女優高峰秀子さんが意識の俎上に上ったのでした。

名もなく貧しく美しく

そのタイトルは『名もなく貧しく美しく』(右画像はその一シーン)とその続編『父と子』『われ一粒の麦なれど』

別の機会、木下恵介監督作品シリーズで初めて『歓びも悲しみも幾年月』でも高峰秀子さんに出会うことになり、子どもの頃、母が見ていたテレビドラマ版とは違って映画では高峰さんが主役だったんだと思ったことを覚えています。

その後今まで、高峰秀子さんに興味を持つ暇もなく年月を経ましたが、母が亡くなった後、すでに前年に亡くなっていた高峰さんに関するこの書籍を目にして、題名にも惹かれるところあって読んでみたのです。

この本の著者である斎藤明美さんも私より2つ下の方のようでしたし、何だか自分が著者の立場になって取材しているかのように面白く読ませていただきました。

「見苦しくない人生」を学ぶ:驕らない、媚びない・・・

さて、見苦しい女たちとは誰のことなどと野暮なことは言いませんし、それ以上に、「誰が」などと特定もできないほど多くの見苦しき女性たちが新聞紙上を賑わす今日この頃、まさに一服の清涼水を飲んだかのような清々しさに心が洗われた思いがするのです。

それも、この2017年に入るとますますその感が募って来て、『高峰秀子の流儀』を書かずにはおれないようなところまで気持ちが嵩じてしまったのです。

高峰秀子さんの人となりを一言で表現するなら、著者の要旨から借りれば、「3桁の数にも及ぶ数多くの女優を取材して来たけれども、高峰秀子氏のように驕らない女優、媚びない女優は、他に誰一人として居なかった。」ということに尽きるでしょう。

数多のエピソードからまとめられた『高峰秀子の流儀』を目次に従って列挙しておきますと、

  1. 動じない
  2. 求めない
  3. 期待しない
  4. 振り返らない
  5. 迷わない
  6. 甘えない
  7. 変わらない
  8. 怠らない
  9. 媚びない
  10. 驕らない

これらの言葉を改めて並べられると、それぞれを単発で提示されるのとは違って、一つ一つの流儀というものが、如何に私たちは出来ていないかということを思い知らされるよい機会になるかもしれませんね。

『高峰秀子の流儀』がどのようにして形成されていったのかを想像することは、家族のように付き合ってこられた著者でも本当のところまでは辿り着かないことでしょうけれども、やはり彼女の生い立ちや人生を俯瞰することなしにはなし得ないでしょう。

そのためには、本書はもちろんのこと、彼女の代表作『わたしの渡世日記』を読まれることも自分を振り返るにあたっても随分と実り多いのではないかと思います。

即ち、幼くして両親を亡くし、父の妹の養女となって函館から東京に移り住み、たまたま飛び入り参加することになった子役のオーディションで監督に気に入られて以降、不世出の女優にまで登りつめたといった一般的な紹介では何も語られていないどころか、むしろ、その逆の壮絶な経緯が全く隠されてしまっているからなのです。

子役として脚光を浴びるや、小学校にも行かせてもらえず叔母夫婦やその一族の生計を一手に担うことになること、その養母の心の変化、幼くして心に刻み込んだであろう大人たちの虚飾と善良の世界。

そういった語り尽くせない人生の経験だけが人を作るものではないし、たとえそうであっても、その出力は人によって全く逆方向であることも多いですよね。

しかし、それでも生きていく中での小さくて様々なシーンが人に大きく影響を及ぼしていることだけは確かだと思うのです。

それが生まれ持った価値観なのかどうかまでは分かりませんけれども、高峰秀子さんは、ただひたすら「見苦しくない人生」を歩むことだけを考えていたのではないかと思わずにはいられませんでした。

そして、そのために「ただ普通の人になることだけを夢見ていた」ということではないかと思われたのです。

私の若い頃には、スターやタレントの誰かが引退するときに「普通の人に戻りま~す」みたいなことを言っていたような気がしますが、「あなた、何さまよ!」
挙句の果ては、その後、復帰したりして見苦しいこと限りなしの人も…。

その背後に見え隠れする大いなる傲慢さなどは微塵も感じられない自然体のスタンスが高峰さんには感じられます。

流石、「女優は嫌い」「女優を辞めたい」一心だった高峰さんは、その通り、女優の必要悪みたいな傲慢さや我儘さを全く持ち合わせていないようですね。

ある意味、虚業であることを自ら認めておられたのかもしれません。

それこそ、女優など比ではないほどの虚業が特殊な社会ではなく一般社会でも大手を振る現代こそ、見つめ直さねばならないことではないかとしみじみ思います。

人を見る目、選り分ける目

さて、それとともに、著者は、高峰さんが自分のことを冷徹なまでに客観的に見ることが出来る人だと見抜いています。

一方、他者との関りにおいても、決して組織の一員としての個人としてではなく、人と人との繋がりとしてしか見ず、肩書や地位・名誉などで人と接しない一貫した態度が垣間見れます。

その分、他者への洞見には研ぎ澄まされ、人を選り分ける臭覚たるや凡人を超越するものがあったのではないかと思われる節が見られます。

その最たる表出は、当時まだ助監督で年収にして100分の1ほどだった松山善三を生涯の伴侶に選んだ事件だと言えるでしょう。

また、自己満足の為に人と繋がることは決してせず、出しゃばることも決してしない姿勢はお見事という他はありません。

自分には厳しいけれど、他者には寛容で、自分と違うからといって決して非難することなく、距離感を適正に保つ術をも心得ているのですね。

まぁ、ここまで所謂『女優』とはほど遠い女性だったこと、女優でなくとも今や絶滅種となったかに見える孤高な自律性に正直驚きを隠せませんでした。

昨今、自分の力で勝ちとった地位ならまだしも、自分の力でもないのに自分を偉いと思いこみ、地位の威光を笠に着て、親切心に見せかけて自分の退屈を紛らわすために積極的に他者に介入し、親切な人間だと思われたい一心の自己満足に酔いしれている見苦しい女性たちを見るにつけ、高峰秀子は「不世出の女優」ではなく「不世出の女性」とすら思えて来ます。

「退屈をしのぐの為に他人に無駄な時間を費やすほど私は暇じゃないのよ!」という高峰さんのそっけない声が聞こえてきそうです。

高峰秀子さんの中には、カテゴリーのトップページでご紹介した三大幸福論のヒルティの幸福もアランも幸福も住み着いているのではないかと思わずにはいられません。

彼女の賢明にして人から信頼される最大の所以は、「退屈」をさながら必要もない他人の為に使って、押し付けることをしなかった。

ただこの一点につきるのではないかと思うのです。

『わたしの渡世日記』を含め、堅くない本で、これほど自分の心に栄養となり、生き方を考えさせてくれるような自伝本は全体の中では稀有なのではないかと思います。

最後に、高峰秀子さんは松山善三氏との結婚生活において、願い通りに至上の幸福を手に入れられたのではないかとつくづく思われます。