親の心得 あるいは 子育て四訓

『親の心得』とは?『子育て四訓』とは?

親の心得 秩父神社宮司・京都大学名誉教授 薗田稔氏

もう数年前のことになりますが、松平勝男先生より教育談義の際に、

乳飲み子は肌を離すな
幼児は肌を離して手を離すな
少年は手を離して目を離すな
青年は目を離して心を離すな

という言葉があるということを教えていただきました。

※松平勝男先生とは、私の教え子を通じて懇意にさせていただいております東大法学部修士卒でマルチリンガルの方で、詳しくは教え子が運営しているサイトの「知らないと損をする松平勝男先生の勉強法」をご一読頂くのがよいかと思います。

尚、勉強法やお子さんの成績でお悩みの場合は、下記のサイトで同コンテンツとしてアップしておりますのでご参考ください。(実は、本コンテンツはこちらがメインサイトになります)

僕は、初めて聞く言葉だったのですが、シンプルながら見事に発達教育の要点を突いたテクストだと唸りました。

その時は、そのまま感じ入るだけで終わっていたのですが、最近になって、このテクストの原典は何なのだろうと調べてみましたところ、ご紹介したテクストと同意では、山口県の元中学校校長である緒方甫さんが長年の教育経験を基にまとめ上げた『子育て四訓』という情報が挙がっておりました。

その一方で、よりシンプルなテクストでは、埼玉県秩父市にある秩父神社の宮司であられる薗田稔氏(京都大学名誉教授:宗教学)が唱えられた『親の心得』があり、そのシンプルさ故、原典とも考えられます。

時間的な前後関係は分かりませんので何とも言えませんが、今は『親の心得』をシンプル型とし、『子育て四訓』を一般普及型とし、この二つを対照する形で進めていくことにしましょう。

親の心得 秩父神社 絵馬

赤子には肌を離すな
幼児には手を離すな
子供には目を離すな
若者には心を離すな

秩父神社では、この心得を刻んだ絵馬や屏風の置物も販売されているようです。

秩父神社の社殿正面には四面にわたって虎の彫刻が施されており、その一つが、子虎とたわむれる「子宝 子育ての虎」の彫刻で、名工 左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫ったものと伝えられているそうです。

さて、こちらは一般普及型テクストに比し、よりシンプルなテクストになっていますね。

しかし、実際の教育現場では、シンプル型を少し解説風に変形・補足した一般普及型の方がより多く使われているように見受けられます。

よく対照してみるとお分かりいただけるように、一般普及型テクストでは、シンプル型には表現されていない「離すタイミング」が明瞭に表現されています。

「肌を離して・・・」「手を離して・・・」「目を離して・・・」ですね。

もちろん、薗田宮司も次のステップの言葉を有効にするためには「離す」ことを当然の前提としてテクスト化されている筈ですが、肌も手も目も離さないまま子どもさんを青年にまで育ててしまうこともあながち無いとはいえない昨今の子育て環境や教育環境から鑑みると、この補足は表現しておいた方が有用な時代になっているのではないかと思ったりします。

いずれのテクストも、子どもとの教育的関わり合い方を子どもの発達段階を大きな4つの段階に区切って道しるべとしたものですね。
その底意は十分にご理解されているでしょうから、今さら僕が説明をするまでもないと思います。

といっても、一人ひとり性格から資質から全ての面で異なりますから、具体的なシーンになると、口で言うほど簡単なことではありません。
だからこそ、「子どもを育てるということは一つの大きな仕事だ」と言われるわけですね。

これらのテクストも、要するに、親子の絆や家庭の愛情の中で最後に依って立てるところがあることへの安心感をしっかり育んだ後、社会に出ていくまでの長い学校生活の中で、社会に対する信頼感とともに責任感を育みながら、自らが自らを律し自立できる状態に結び付けていくプロセスにおける『親子の関係性』に他なりません。

僕は、一人のこどもの成人は『親子の関係性の総体』の結実であると捉えています。
(当然、親子の関係性の総体の中には、こどもと学校との関係性への関係性が包摂されていなければなりません。)

「離す」というアクションへの無知、あるいは覚悟の大切さ

ご紹介した2つのテクストは、この関係性のあり方に大きな要素を占めるのが距離感の取り方に関する公理を発達段階に応じて的確に表現したものになっています。

ここで、先ほども申しましたように、「離す」というアクションの効用を知らないか無視してか、全く意識しないまま子育てをされている傾向が目立っていることに少し危惧を感じたりすることがあります。

知っておられるとすれば、「アクション」と言うより「覚悟」と言った方が正しいかもしれませんね。

就活の説明会やセミナーに親が参加していたり、親がエントリーシートを書くのは今や常識というような話を息子の就職時に耳にしたときには腰が抜けるほど驚きました。

テレビでは婚活にまで親がしゃしゃり出ている様が映し出され、これまた腰を抜かしました。

まぁ、商売の飽くなきニーズ開発がもたらした現象ではあるのでしょうが、機械文明依存症と同じく、著しい人間の劣化に繋がる情けない現象ではないでしょうか?

  • いつまでも「肌を離さなかったら」極めて強い依存心をもったまま甘えた大人になります。
  • いつまでも「手を離さなかったら」人から教えて貰わないと問題を解決できない大人になります。
  • いつまでも「目を離さなかったら」何かに庇護されていないと責任も負えない大人になります。

「自分で何とかする力」を奪うことがサービスになってしまった教育産業

必要もない過剰なサービス提供によって、ますます「離す」ということの重要性が軽んじられつつある昨今、一般普及型のテクストで訴求しないことには意識すらしてもらえないのかもしれません。

子どもは親から離れられるまで育てられたこと、親は子どもを自信をもって離せるまで育てたこと、そして離れてもお互いの心が離れていないことの中にこそ、この世で唯一の安定した幸福を見出すものではないかと思うのです。

また、「離す」ことは、何も親が子どもを育てる場面だけに限らず、学校の教師や塾の講師が生徒を指導する際にも重要な鍵を握ります。

「手を離して・・・目を離して・・・」を明瞭に目標と定めて指導される指導者がどれほど居られるのかは知る由もありませんが、ともすれば「手取り足取り」をサービス精神秀逸と勘違いして評価する保護者さんのプレッシャーが強ければ強いほど、「親を離して目を離すな」の方が緊急課題になるかもしれませんね。

松平先生も僕も全く同じ意見なのですが、勉強に限らず生きるという全ての営みにおいて、【自分で何とかする力】を付けさせることこそが教育の目的であり全てだと考えています。

松平先生は、
「して見せて、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」
「して見せて、いって聞かせて」までは誰でもしますが、「させてみて、褒めてやって」一人前に独立させない方が、企業の課長職などにも増えていると仰っていました。

こちらは、第二次世界大戦で対外戦争に反対しながらも連合艦隊を率いた海軍大将山本五十六氏の言葉なのですが、私としては「離す」以前に「言って聞かせて」から出来ていないリーダも多いように見受けています。

「離す」ということの大切さを広く広めて意識していく必要性はMAXに達しているのではないかと思えます。

とりわけ、母親の言葉は子どもにとっては世界中の言葉!

「子どもを育てるということは一つの大きな仕事」である以上、行き当たりばったりでは思うような成果は出せません。
発達段階に応じたアクションだけではなく、全発達段階を通じて一貫した理念を持っていなければなりません。

その意味でも、子育ては子どもが生まれて突然始まるものではなく、子どもが生まれる遥か以前から、いや自分が育てられている時期から始まっていると言っても過言ではないでしょう。

とは言っても、その参考にしていただけるものとして、保護者向けの別冊にも記しているのですが、『子どもが育つ魔法の言葉』を最後にご紹介しておきます。

子どもが育つ魔法の言葉

その参考にしていただけるものとして、『子どもが育つ魔法の言葉』を最後にご紹介しておきます。

  • 批判されて育った子どもは、人をけなすようになります。
  • If children live with criticism, they learn to condemn.

  • いがみあう家庭で育った子どもは、人と争うようになります。
  • If children live with hostility, they learn to fight.

  • 恐れのある家庭で育った子どもは、びくびくするようになります。
  • If children live with fear, they learn to be apprehensive.

  • あわれみを伴って育てられた子どもは、自分をみじめに思うようになります。
  • If children live with pity, they learn to feel sorry for themselves.

  • 嘲笑を受けて育った子どもは、臆病になります。
  • If children live with ridicule, they learn to feel shy.

  • 親が他人に対して嫉妬ばかりしていると、子どもも人を羨むようになります。
  • If children live with jealousy, they learn to feel envy.

  • 辱めを受けて育った子どもは、「自分は悪い子なんだ」と思うようになります。
  • If children live with shame, they learn to feel guilty.

  • 励まされて育った子どもは、自信を持つようになります。
  • If children live with encouragement, they learn confidence.

  • 寛大な家庭で育った子どもは、我慢するようになります。
  • If children live with tolerance, they learn patience.

  • ほめられて育った子どもは、感謝するようになります。
  • If children live with praise, they learn appreciation.

  • 心から受け入れられて育った子どもは、愛するようになります。
  • If children live with acceptance, they learn to love.

  • 認められて育った子どもは、自分を好きになります。
  • If children live with approval, they learn to like themselves.

  • 子どものなしとげたことを認めてあげれば、目的を持つことの素晴らしさを学びます。
  • If children live with recognition, they learn it is good to have a goal.

  • 分かち合う家庭で育った子どもは、思いやりをもつようになります。
  • If chilren live with sharing, they learn generosity.

  • 正直な家庭で育った子どもは、誠実になります。
  • If children live with honesty, they learn truthfulness.

  • 公明正大な家庭で育った子どもは、正義感をもつようになります。
  • If children live with fairness, they learn justice.

  • やさしさと、思いやりのある家庭で育った子は、他人を尊敬するようになります。
  • If children live with kindness and consideration, they learn respect.

  • 安心できる家庭で育った子は、自らを信じ、人をも信じられるようになります。
  • If children live with security, they learn to have faith in themselves and in those about them.

  • 和気あいあいとした家庭で育った子は、この世の中はいいところだと思えるようになります。
  • If children live with friendliness, they learn the world is a nice place in which to live.

『子どもが育つ魔法の言葉』

これらの一つ一つの項目を眺めていると、子育てすること、子どもを指導するということは、とりもなおさず、親自身が指導者自身がその人格を子どもとの距離感の取り方を通して問われているのだということが切々と感じられてきます。

これら一つ一つの状況を導く母親の言葉は、子どもにとっては全世界の言葉であることを自覚しておくことが最も根本にあるべきものとして意識しておかねばならないのではないでしょうか?

その意味でも、親にとって

『教えるとは、未来を共に語ること』

なのです。

もっと言えば、

『教えるとは、親自身が暇をもてあそぶことなく有益なことに生きること』

に尽きると言えましょう。

追記

尚、愚稿ではございますが、学力と絡める形で「子育て18切符」なる執筆を勉強方法論『帝都大学へのビジョン』の別冊として収録しております。

ご購入いただいた保護者様からは、嬉しいお礼の言葉を数多いただいております

普通の一般的な子育て書とは違って、とっぱしは保護者さんからの成績のお悩みに対するご相談に実際にお答えした回答形式で、学力向上に絞ったお話から展開していく異色の書だと自負しております。

ある意味、勉強法の本質を本書の前半だけで掴んでいただけるのではないかと思っておりましたところ、やはり掴んでいただく方には掴んでいただけたようです。

宜しければ【帝都大学へのビジョン】からお申込み下さいませ。