しあわせ運べるように | 阪神淡路大震災20年

1995年1月17日、地底怪獣が現れたのか?

阪神淡路大地震 阪神高速倒壊
深江本町阪神高速倒壊現場 photo by 神戸市

阪神淡路大震災が発生したあの日。

子どもたちが布団の間をゴロゴロと転げ回ったあの日。

妻は長女を抱きかかえ、僕はただ為す術もなく立ち上がって家族を守らねばと思ったあの日。

賃貸マンションの1階では、もうこのまま天井が落ちてきて死ぬという思いもよぎったあの朝。

僕は、小学校の頃よく観た怪獣映画の地底怪獣が、本当に頭の中をよぎったのだった。

長い長い揺れが収まった暗闇の中、隣の部屋もリビングも踏み場のないことだけは分かった朝。

踏み場を確保して、実家の母や叔母などを巡回して見て回った朝。

道路の割れ目から溢れだした水は坂道を滑り落ち、ガス臭い臭いが鼻をついた朝。

「阪急より下は相当やられてる、JRより下は壊滅らしい!」

そんな情報が自転車とともに転げ込んで来た朝。

地震だとは分かりつつも、それでも本当は何が起こったのか分からなかった朝。

きっと夢を見ているのではないか?錯覚ではないのか?…そう思いたかったあの日。

今日はあれから20年という節目という。

芦屋市・西宮市・尼崎市で災害復旧に携わった3従兄

芦屋市で陣頭指揮に立った従兄は、すでに引退し静かな隠居生活を送っている。

西宮市で死体処理の指揮を執った潔癖症の従兄は、死体の数が合わないと任務を終えた後に責任を取って辞職した後、病のため60半ばにして他界してしまった。

自治体では、

「まず、火葬場にガスを通せ!」が至上命令だったというあの日。

「ドライアイスを、早く調達しろ!」が至上命令だったというあの日。

何故か九州の親戚経由でしか安否を知らせることが出来なかった妻の実家。

子どもたちの疎開先としてお世話になった奈良の実家に今はもう主は誰も居ない。

義父は他界し、義母は認知症で施設にお世話になっている。

『しあわせ運べるように』
この画像を見ていると当時の街の光景が次々と蘇る。

阪神高速の倒壊、神戸市東灘区森南町、森北町周辺や芦屋市津知町周辺の悲惨な光景、JR六甲駅の崩壊、阪急線を境に被害の甚大さがくっきりと明暗を分けた光景。

これらの光景を目の当たりにしたときの唖然とするしかない気持ちが蘇る。

思えば、前々日は久しぶりの高校の学年同窓会で新地からタクシーに満員相乗りして阪神高速で朝帰り帰還した矢先のこと。

「1日違っていれば”我ら阪神高速に死す!”だったかもしれないな」と話したものだ。

丸紅で携帯電話関連の業務をしていた同級生がいたことで、身の回りが落ち着きかけた頃に初めて携帯電話を購入。

アンテナをピッと引き出して使う、今から見ればおもちゃのような代物でも、あの状況下では本当に便利なものだった。

「人どころではない」神戸

人の歳経る様に象徴される20年でもあり、携帯電話の進化ぶりに象徴される20年。

「人どころではない」神戸は確かにあるのだろうとは推察されます。

震災後6年の日に、僕はメールマガジンで、そんなふうに書いていた。

震災の数年前から企業の設備投資は氷河期に入り、FAで自動化設備や産業用ロボットに関わっていた僕の周りでも、震災後には廃業に追い込まれていった設計者や倒産に追い込まれた零細企業を続々と目の当たりにする。

思い出すに、出口の見えない経済不況のほんの初期に重なった泣きっ面にハチの出来事でもあった。

そんな中、たとえ2,3ケ月とはいえ断り続けていた六ヶ所村再処理工場の設備図面に手を染めた時期とその罪悪感。

ゴミ焼却炉プラントという専門ではなく、かといって特に興味があるわけでもない分野で時間稼ぎをした時期とその屈辱感。

立ち直ろうとしても少なくとも僕たちの業界では瀕死の閉塞感漂う中、工場や店を喪失した事業者のご苦労はそれはそれは大変なものだっただろう。

そんな中、僕は技術者仲間と中国へ技術支援に赴きながら、その合間を見てFAX塾を起ち上げた。

この時の教え子たちは、先の見えない暗澹たる気持ちの中で大きな希望を与えてくれた。

そして、震災後5年の間に、僕は経済効果をもたらせばもたらすほど自身には報われることのない技術者を拒否する道を選んだ。

被災の度合いに拘らず、それぞれの被災者にとって、20年という月日は長くもあり短くもある。

謙虚と感謝というこころのあり方にしか『しあわせ』を運ぶことはできない

日常、当たり前のようにそこにある全てのもの、全ての事柄こそがしあわせそのものだということを私たちは忘れてはならない。

私の身の回りにある食物が生活必需品がインフラがたとえ一つでも欠けると生活に支障をきたすことを誰もが知っている。

私の体のどのような細部の1か所でも、それが狂うことで生活は少なからず愉快ではないものになってしまうことを誰もが経験している。

そんな当たり前のこと、当たり前の物象の中にしあわせはひっそりと潜んでいることを本当は誰もが知っている。

そして、これらが当たり前のものとしてそこにあってくれるのは、私が居るからではなくあなたが居るからということも誰もが感じてはいる。

私のような分際でつつがなく生きていけるのは他ならぬあなたがいるから。

謙虚と感謝というこころのあり方にしか『しあわせ』を運ぶことはできない。


生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

自然の脅威よりも怖いもの…それは人間の傲慢とエゴ。
昔、学生時代によく口ずさんだ歌がふと口をついて出て来る。