親を捨てよ、家を出よう | 阿月ヒカル

親を捨てよ、家を出よう-阿月ヒカル

2000.11.11著

阿月ヒカル-親を捨てよ、家を出よう-子供を一人前にしたければ、上手に殺されなさい

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親を捨てよ、家を出よう

子供を一人前にしたければ、上手に殺されなさい

と言いたいところだが、自分が精神的な父親殺しを経験してないだけに、分からないのだろう。

かつて、寺山修司は言った。『書を捨てよ、町へ出よう』
これを阿月流に応用すれば、『親を捨てよ、家を出よう』になる。

『親を捨てよ、家を出よう』は、かつて寺山修司が言った『書を捨てよ、町へ出よう』の阿月流の絶妙メタファですね!

尚、阿月ヒカルさんの現在のコンテンツページは↓こちら↓

旧「言葉の花束・Eclipse」より『親を捨てよ、家を出よう ~子どもの自立と精神的親殺し』

わが息子を叱って寒空に叩き出した

昨日、久々に小学校5年生のわが息子を叱って、夜の11時も過ぎて寒空に叩き出した。
お尻を思い切り叩いた。
お尻を2回ほど足で蹴ってもしまった。
傍目にみれば虐待に映ったかもしれない。

これほど激しく怒るときは己が心の震え、痛みも激しい。
「甘やかしてばっかりいないで、時々は怒ってよ」と妻からクレームをつけられるほどめったには怒らないが、怒るときは徹底的に怒る。
どうもそういう傾向というか流儀が僕にはある。

妻は、2人の子どもに応じて隔年程度に何度かPTAの役員や学級代表などをしている。
決して、好き好んでしている訳ではない。
誰も引き受けないダンマリ忍耐合戦に耐え切れず、アホらしくなって連年の任務でも覚悟して口火を切るそうである。

働いているわけでもないのに一度も引き受けない人が沢山いる。
又、そういう人に限って文句だけは一人前なのには口をアングリということも少なくないらしい。

実は僕自身、この手の人間が一番嫌いというか、どんな精神構造をしているのかが不思議でならない。
自分のことを棚に上げて、人だけ攻撃するという人間は最低の人種ではなかろうか?
と思うのだけれども、こういう類の人が意外に多い。

PTAに限らず、世の中のことたいがいにおいて、自分の責任であっても人に責任を押し付ける人種自分に責任が無くても自らの責任を問い、その一端を背負う人種とにはっきり二分されるような気がするのは気のせいではないだろう。

勉強と躾は学校に任せ、進学は塾に任せ、教養は習い事に任せ、子守はテレビやテレビゲームに任せ、食事は外食や市販のお惣菜に任せ、PTAは他人に押し付ける。

とくれば、私は何をする人ぞ。
クレームをつけることぐらいしかやることがない。
そして、人にイチャモンをつけるのがこれ又面白い。

止められないほど快感。
親としての責任までが人に面倒見てもらえるからとっても気が楽!
「私の子どもがこんなになったのはひとえに学校の責任よ!」に行き着くらしい。

過去、僕の2人の子どもの担任になった先生で親の評判のよくない先生が何人かあった。
実際ふたを開けてみると反対に例外なく素晴らしいか、むしろ良い部類に入る先生だなぁという感想の先生たちであった。
きちんとした根拠に裏付けられたポリシーをお持ちだった。

一方、親に評判の良かった先生は、実は、授業中に塾の勉強をしていてもOKの先生群であることが後で分かったのだが・・・。

そのうちの一人の男性教諭は顔を見ただけで、所謂文部省推薦/紋切り型人間の代表選手であることが体全体に刻み込まれているのが一目で分かった。
僕は、この手の教師には嘔吐をもよおす・・。

「前例がありませんので・・・」「規則ですから・・・」「慣習ですから・・・」等と赤ら顔で繰り返すことだけを商売にしている類の種族である。
そして、もう一つ、「目に見えてえこひいき」をする特徴がある。

「愛」のかけらも無い。
持ち合わせているのは「単純事務作業の虫」であることだけなのだ。
エンデ流にいえば、時間銀行の最も重要な融資先になるのだろうか・・・。

民間ではどこに行っても先ず役に立たないような気の無い抜けた赤ら顔。
「ゾゾゲが立つ」とはこういう人間を見て発するのだと瞬間に思った。

その意味では、上手に殺される術を知るべきは教師も同様ではないかと思う次第です。

それにしても、愛することの辛さとしんどさと責任までを放棄した親たちに子どもたちは何を見ているだろうか・・。
「寄生」の安寧に身を委ねているのは確実に「親」なのだ。

我が子の教育さえ他人任せにする親たちの背中を見て、子どもたちは自立出来るのだろうか?
そして子どもが自らが親になり、新たな「寄生」を再生産していくというはてしない物語・・・。

妻は言った。
「この世を支えているのは全体の3分の1か、良心的に見積もっても半分の人だと思う。」
社会に寄生する者は、親子関係にさえ寄生するのだろうか・・?

愛される自分を見出しながら、親を超えて本当の大人に巣立っていく子どもたちがどれほどいるだろうかと嘆かざるを得ない。

今や、捨てるべき書などは最初から無いに等しい。
インターネット時代となってから、売名目的かと思えるような無責任で浅薄な素人の本が星屑のように並んでいるだけ。

今、捨てなければならないのは、子どもを自立させる気もない親であり、これを補助する携帯であり、人生の糧となるべき書はむしろ拾わなければならないものではないだろうか?

決して、エラそうに言っているつもりは全くないのですが、あまりにも酷い!
この際、是非「帝都大学へのビジョン」にも訪れていただきたいと思う次第です。

阿月ヒカルさんサイトの変遷

月日が経つとともに、阿月さんのサイトにもいろいろと変遷があり、それに追随する形で極力リンクの変更を行ってきました。

2019年のチェック時には、阿月さんへのリンクを貼る数ページで下記のように記載しておりました。

2007年あたりに一度、URL変更のご連絡をいただき修正していたのですが、2019年にチェックしましたら、こちらも既に開かなくなっていました。

昨年(2018年)ぐらいまでは開いたはずなのですが…。

少し探してみましたが、2ch的な人を中傷するような書き方しかできない連中が増えてきたからでしょうか、現在は、自分用だけのアーカイブとしてしか利用されていないのかもしれません。

批判するのは良いことですが、それが中傷的な書き方でしかできないのでであれば、それは、自分では何もできないゴロツキ評論家です。

そういった輩ばかりが増えてきていることで、サイトを未公開状態にされているのかもしれません。

彼女は、文学や映画・音楽・絵画などの話題やWeb技術にも長けておられるようで、IT技術に関する話題も加えて、2000年以前からユニークな視点で、日常の暮らしから、恋愛・子育ての話題まで発信されていました。

看護士を勤められた後、国際結婚をされEU圏内に住んでおられますが、この多忙で変則的な生活を余儀なくされる職業にして、これだけ多彩な文化を題材に、多くのことを語れる博学さと、且つ感受性と優しさの豊かな女性は、めったにお目にかかれるものではありません。

でも、お会いすれば普通のざっくばらんな女性であることは、私には容易に想像できます。

ということで、残念ながら、すでにHPをご案内することが出来ません。

2019年追記記事

2020年、わざわざ、新たなサイトで運営されていることをご連絡いただきました。

特に育児系コンテンツはパクリ被害が多いことに辟易とされて、現在は有料コンテンツにしておられるそうですが、本標題のコンテンツのみは、私どもが紹介しているということもあって全文公開分の中に入れていただいているようです。

ネットで小遣い稼ぎする素人ライターなどは、如何に他人のコンテンツを平気でパクっているのかを如実に表していますよね。

当事務所の学習関連のコンテンツですら、某塾にほとんどパクられていることが明らかなものがあります。

ともかくも、阿月ヒカルさん(現在はペンネームとして使われていませんが…)の全文閲覧可能コンテンツは下記から出会っていただけます。

2020年追記記事

最古アーカイブ:2007年8月

2007年8月、正真正銘の阿月様よりメールを頂き、下記サイトでバックナンバーが公開されている旨ご連絡頂きました。
その後、変遷がありましたが、現在はちょっと見れないようです。(格納されたのかな?)
その代わりと言ってはなんですが、下記の記事をご紹介しておきましょう。

もともと、ご姉妹でサイト【阿月工房】を運営されていたように思いますが、おそらく、今回メールを頂いたのは、お姉さんのサイトにエッセイ【eclipse】を掲載されていた妹さんだと思います。
どちらにしても、ご姉妹そろって、素晴らしい感性で文章を書いておられました。

※上記の点に関しては、おそらく私の推測違いだと思います。
でも、そういうペンネームからの推測も楽しい時代だったと今更ながらに思います。

現在は阿月まりさん、あるいはベルバラ関連のエッセイでは優月まりさんとして、サイトを運営されています。
素晴らしい知的感性が溢れる「恋と生き方」のエッセイページですので、是非ご訪問されてみてください。
国際結婚されて落ち着かれた今、新たなサイトとともに子育てのメールマガジンも発行されています。

あらためて、サイトのTOPページは↓こちら↓です。

阿月ファンだった僕としては、メールを頂いたときには、探し物を見つけたときのように嬉しい思いが溢れました。

2008年追記記事

阿月さんの著作とスタンス

当サイトでは、阿月さんの本名は差し控えさせていただきますが、その後、Amazon Kindle版にて下記の著作を公開されています。

やることが多すぎる割には、やはり体力の衰えもあって悶々としている私も、マイペースで読もうと思っております。

真面目な医療寄りのSFでした。

私も一応へっぽこ看護師ですが、かつて看護師であったという筆者の、生化学から臨床推論まで幅広い医療知識を尊敬せずにいられません。

なぜか誤字が少しありますが、全く気になりませんでした。

舞台となるTOWERを始めとする建築や景色の描写は美しく、登場人物たちの正義や葛藤には共感するものがあって、医療だけではなく聖書に関連したことが学べて、なによりアドナとスティンの恋愛がとても魅力的でした。

悲劇的なラストでしたが、逆に美しさが際立って読み終わりました。

本格的なSFで面白かったです。ありがとうございました。

“TOWER”の読者レビューより

阿月さんがプロフィールで書かれていることとダブりますが、インターネット黎明期は本当に魅力的なサイトやブログが百花繚乱でした。

もちろん、明らかな詐欺情報も多くあり、悪意への免疫を持たない一般層の多くを食い物にした側面もありましたが、一方で、個性的な人々に出会って討論や意見交換の場も多くあり、広い世界を学ぶ機会がふんだんにありました。

私自身も教育関係のメーリングリストに参加していましたが、いろんな教育観があったり、いろんな突っ込みがあったりして、感性や知性が鍛えられたものですが、今や、それが安直な感性だけで浅薄な言葉が撒き散らかされるSNSにとってかわられています。

私も、2000年にして「ミヒャエル・エンデとインターネットバブル」にて、下記のように記していました。

資本が「IT」に本腰を入れてGOをかけて来た以上、やはり、この領域も一般社会と同様に冷徹なまでに資本の論理が支配するようになるのは時間の問題だということもある。

「ミヒャエル・エンデとインターネットバブル」(当サイトに移設予定)

そして、資本のためのインターネットが完遂されたのが、阿月さんが書かれているように、2020年5月のGoogleコアアップデートでした。

その結果、阿月さんが書かれているように、今やインターネットはますます野心ある資本の電話帳と化し、資本の傘下でうっぷん晴らしや暇つぶしをする一般利用者のための享楽道具となり果てました。

だからこそ、そんな中でも、阿月さんの知性・感性・表現力・文才の足元にも及ばないにせよ、少しでも真実に近いところを未来へのことづけとして残せるように営々と運営していこうと考えております。