モモ-限りある資源「時間」| エンデの残してくれた幸せ

モモ-限りある資源「時間」:エンデからのメッセージ

2000.10.15著(2010年:一部編集・追加で更新)

三人のきょうだいが、ひとつの家に住んでいる。
ほんとはまるでちがうきょうだいなのに、
おまえが三人を見分けようとすると、
それぞれたがいにうりふたつ。

一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。
二番目もいないが、こっちはもう家から出かけたあと。
三番目のちびさんだけがここにいる、

それというのも、三番目がここにいないと、
あとのふたりはなくなってしまうから。

でもそのだいじな三番目がいられるのは、
一番目が二番目のきょうだいに変身してくれるため。

おまえが三番目をよくながめようとしても、
そこに見えるのはいつもほかのきょうだいだけ!

さあ、言ってごらん、
三人はほんとはひとりかな?
それともふたり?
それとも-だれもいない?

さあ、それぞれの名前をあてられるかな?
それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。

彼らはいっしょに、ひとつの国をおさめている-
しかも彼らこそ、その国そのもの!
その点では彼らはみなおなじ。

ミヒャエル・エンデ著「モモ」

さて、あなたは、だんご三兄弟も真っ青の強力ライバルの正体、お分かりになりましたでしょうか?

ある意味、三大幸福論ならぬ、幸福三兄弟と言えるかもしれません。

ミヒャエル・エンデ氏の代表作「モモ」の一節ですが、既にお読みになった貴女なら思わずニンマリかもしれませんね。

一つ二つヒントを申し上げますね。

  • 変わっていると思われるかもしれませんが、私自身は滔々と流れる時間というものに何故か大河リムジン江を想起したりします。
  • 「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語」というサブタイトルがついた、ほんに不思議なメルヘンです。

この物語にでてくる、カシオペイアという何ともひょうきんなかめさんが、この物語の味わいを一層深いものにしてくれているんですよ。

エンデ氏には至って迷惑なことだと思うのですが、私は自分の魂がエンデ氏の魂と完全に共鳴していることを覚えずにはいられない一人として、「モモ」は、というよりエンデ著作は全てお奨めできると確信しています。

そして、ここ数年、教育関連のメーリングリストでご一緒だった森陽子さんは、ミヒャエル・エンデ館を主宰されています。

こちらと友好関係にある長野の黒姫童話館も是非、訪れてみられては如何でしょうか?
一部の特殊な人を除いては、人はみな、本当はやさしさに憧れ、やさしさを追い求め、やさしさに帰っていくものではないかと思っています。

年末には再度このコーナーにお目見えする筈です。
ミレニアム最後のメッセージとして…。

私たちのかけがえのない人生の「瞬間」。
今、願い事が適い何を欲するかと問われれば、私は迷うことなく「時間を取り戻してほしい」と願います。

貴女は如何でしょうか?
今生きてるこの瞬間-1分1秒が、口惜しいほどに無残に通り過ぎていきます。

街を歩いていると、「そんなことする時間があるんやったら、おまえの時間をくれ」と思うことも正直な話、ままあります。
貴女もあるのではないでしょうか?

未来バラ色論の虚

昔、お偉い人はどうおっしゃいましたでしょう?!
「経済成長・自動化・ロボット・家庭労働の軽減。・・・・。それは、人間により創造的な仕事に関われる場と時間を提供する。」

盛んに吹聴された「未来バラ色論」。
そう煽って「そのために働け」と口だけで仰った方々は、今、汚いお金にまみれ、自分はバラ色の優雅な人生を送っていらっしゃいます。

しかし、これだけ、技術も医療も進歩して来たにもかかわらず、普通の私たちの中で「創造的なことに費やす時間が増えた」と仰る方は居られますでしょうか?

うそばっかり!!です。
先人や私たちが築いた財産は全て、どこか訳のわからないところ(はっきり言えば何をしても金儲けが全てという遺伝子を持った守銭奴たち)に吸い上げられているのではないですか?

そのことこそが、「モモ」の底意に流れるエンデの嘆きと警鐘だと私は思います。

蓄えられた余裕の時間は築き上げた人間とは何の関係もない人に築き上げた人には断りも無く贈呈され、それがまた、彼らのつまらぬ時間に替えられて浪費される…。
なんと素晴らしい循環社会でしょう!

真に豊かな時間を与えられるべき人にとっては、さながら奴隷工場といっても過言では無いように私には思えます。

「天よ、我に仕事を与えよ!」と嘆いた故奥平剛士氏の言葉は、私たち40代の年代になると「天よ、我に時間を与えよ!」というメタファとして響いて来るように思います。

世の中には、思う以上に多くの「インテリジェンス」や「良心」が確かにあります。

しかし、現実社会は、「インテリジェンス」や「良心」であるが故に力を持てないし、持ち得ないシステムになっています。

世間からこてんぱんにやられましたあの横山ノック元大阪府知事ですが、こういった類は信じられない程、いとも簡単に何故か力を与えてもらえるわけです。

(与えて貰った方ばかりがこてんぱんにやられ、与えた方は無罪放免というのも私には納得できかねます。東京の真面目さに比し大阪のおふざけぶりは何なんだ!という感は否めません。)

選んだ選挙民は自らを恥じるべきですが、選んだ自分は責めない!
実に不可思議な神経です。
何故、ふざけた人間と分かっているのに、有名だからというだけで投票するのでしょうか?

文化とは本来、私たちの社会と隔離されたものではなく、政治や経済と同じように社会のエネルギーの一つとしての生きたものである筈です。

しかし、何故か「文化」は生きる社会とは別のところにうやうやしく奉られた飾り物ぐらいにしか扱われません。
たまにもてはやして飾っておくだけのものです。

と言うのも、飾り物にしておかないと損をする連中がそのようにしているだけという側面とともに、何よりも私たち一人一人が無意識に単なる飾り物にして、実社会とは無縁の空想とか夢物語の世界に閉じ込めているということなのではないでしょうか?

こういった「インテリジェンス」や「良心」という文化が人間社会に対し発言力を持てる条件は、ひとえに一人一人に本来的な要求を目標にしたいという健全な文化が根付くことにしかありません。

政治を冗談や好奇心や私利私欲で弄ぶ文化と対峙する文化を築き上げることは、実はみんなの本音での部分での要求だと私は思っています。
そして、エンデはそれを文章で語れる本当に数少ないメルヘン作家だと思っています。

その不思議さは、その面白さは言葉では言い尽くせない、筆舌に尽くしがたいものがあります。
是非ご一読下さい。

※池波正太郎氏の著書から引用して下さいというご要望を頂きました。
しかし、私自身は池波正太郎氏の著書に接したことがありません。m(__)m
逆に教えて頂ければ幸いです。是非コメントで投稿下さいませ。

ミヒャエル・エンデについて~現代における世界に無比の良心~

ミヒャエル・エンデといえば、その代名詞ともなっている作品は『モモ』
おそらくファンタジーとメルヘンの最高峰ではないでしょうか?

『モモ』に限らず、エンデの繰り出した作品はその全てが深い洞察と愛に満ちています。

おそらく、政治屋やホリエモンが如き人種は、若い頃からしてこういう類の本を読んだことはないでしょうね。

だから、本当に社会から尊敬される愛に満ちて且つインテリな人間に育てたいと考える多くの親御さんには、是非とも子どもさんに読ませてあげて欲しいと願います。

私としては、迷うことなく、親が子どもに読ませたい作品のNo.1にはエンデを挙げさせて頂きます。

何故なら、エンデは最も称賛されるべき「世界の良心」の一人であることは間違いがないと思うからです。

我が家も、子どもたちに高校生で読ませましたけれど、「実にほのぼのとした不思議な面白さがある」と言っていました。

おそらく、彼らはもう一度『モモ』を読み直したいという時が来ると思います。

5年ほど前にNHKのクローズアップ現代で「エンデの遺言」が紹介され、多くの人に感銘を呼び起こしたはずですが、ご多分に洩れず、世間はその時だけで今やどこ吹く風。

世界は必ず『エンデの遺言』に耳を傾けざるを得ない瞬間が、そうは遠くない内に必ずやってくることは確実でしょうから、その時に「感じれる大人」に育ってほしいと願うばかりです。

ミヒャエル・エンデ モモ

エンデの『モモ』を読まずに人生を生きるとすれば、これほど時間の無駄遣いはないでしょう。

エンデの『モモ』を読まずに人生を終わるとすれば、これほど哀れでもったいない人生はないでしょう。

そのぐらい、『モモ』ほど、人生を生きる上で読んでよかったと思えるファンタジーは無いと思います。
宮﨑 駿さんよりもアインシュタインよりもはるかに有益なことに思えます。

『モモ』は、それほどの輝きを持つファンタジーです。
小学生から読めますが、その真意を汲み取るには繰り返し読むというある程度の時間と成長が必要です。

それがまた、人生の醍醐味です。

私は、物語に彩を添える亀さんカシオペイアが大いにお気に入りです。
人間にとって『時間』とは何か? とともに、『時間銀行』でのお利息という部分で、エンデの金融に関する洞察とも大いにオーバーラップし、その部分を対比して社会を見つめ直すのも面白いのではないでしょうか?

ミヒャエル・エンデ 魔法のカクテル

さて、エンデのメルヘンの中でも、最もお気楽に楽しめる作品が『魔法のカクテル』
こちらは小学校低学年からでも読め、大人もとても楽しめる珠玉の作品です。

一気に読んでしまいたくなるタイプの作品です。
はっきり言って、真意だのなんだのと難しいことを考えることもなく、単純に物語としてムチャムチャ面白いのですよ!。

そう仕立てるところがエンデのエンデたる所以でしょうか?

ウイットと風刺の効いた『魔法のカクテル』の味わいに、どんなあなたも顔がほころび、笑顔になり、最後にはきっとエンデの虜になるでしょうね!!