堕落した文明人以上に恐るべき野蛮人があるか?-チェンバレン-

堕落した文明人以上に恐るべき野蛮人があるか?

2012.7.17著

堕落した文明人以上に恐るべき野蛮人があるか?

他の草稿を考えているときに、ふと亀井勝一郎氏の黄金の言葉―思索する心のために を思い出すことがあって、実に35年ぶりに懐かしく読み返してみた。

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そこに、今回ご紹介するチェンバレンの『鼠はまだ生きている』の冒頭句がありました。

僕は常々、テレビに映る議員や口だけの評論家や虚業実業家を見ては、「背広を着た野蛮人」という言葉そのもので見つめていました。
僕が読んだ本の中には、このような表現も多く見たような気がします。

お蔭様で、背広などは入社式とサラリーマン時代の出張、それもクライアントと打ち合わせをするとき以外には着たことがありません。
技術屋ということもありますが、背広は臆病さと嘘を包み隠すものとしての認識しかないからです。

僕の妻なども、冠婚葬祭以で普通の背広姿などは自分たちの結婚式の後ぐらいしか見たことがないのではないでしょうか?

そういう意味で、この言葉も見れば思い出す程度で、長らく失念していた言葉に再び巡り合った感じがするのですが、 思えば、思い出す出さないのレベルではなく、自分の生き方として血肉となっているからなのかもしれません。

しかし改めてこの言葉を前にすると、今こそ心に刻み込むべき鋭い言葉であることを感じたのです。

さて、チェンバレンという名前の著名人は比較的多いですから、どのチェンバレンかと迷われるかもしれません。
当然スポーツ選手などであるはずもなく、ノーベル平和賞のチェンバレンでもなく、政治家のチェンバレンでもありません。

明治時代に、東京帝国大学で教鞭を取り、古事記を英訳し、アイヌ語や琉球語の研究に勤しみ、23歳から61歳までの人生の充実期の大半を日本で過ごした言語学者のBasil Hall Chamberlain(バジル・ホール・チェンバレン)です。

先に、少し脱線させていただきます。
『愛の反対は憎悪ではない、無関心である』という言葉が広くネットでは流布しています。

マザー・テレサの言葉として広く流布しているのですけれども、実は、ノーベル平和賞作家のエリ・ヴィーゼルの言葉でもあり、もっと時代を遡れば、このチェンバレンの『鼠はまだ生きている』中の言葉として心に留めている方も居られるようです。

これを確認するには、チェンバレン自身の『鼠は生きている』を読まねばなりませんが、大学の図書館にはあるものの、市中では古本屋に1冊見当たるか見当たらないかの希少な書籍のようです。

もし、『愛の反対は憎悪ではない、無関心である』が確かに『鼠はまだ生きている』の文章であることをどなたか確認された方が居られましたら教えていただければ幸いです。

誰が先に言ったかなどという下衆な問題に還元されてしまっては困りますが、もっと遡れば、チェンバレン以前にも同じ言葉を語っていた人は存在するかもしれません。

実際、有島武郎の『惜しみなく愛は奪う』にも、『愛の反対は憎しみではない。愛の反対は愛しないことだ。』というフレーズがありますが、時代的にはむしろこちらの方が先です。

マザー・テレサ女史ともなれば、古い書物も多く紐解かれることで自身の魂の修練をされていたでしょうから、それらを出典として広く引用されていることも多いでしょう。
このことに関しては、少し長くなりますので、下の方で『一人歩きする言葉がある』としてしたためることとします。


やっと本題に入ります。
このチェンバレンの言葉は、冒頭で述べたように、今こそ叫ばなければならないそのものの言葉であると感じたが故に、ここにご紹介することにしました。

まずは、亀井勝一郎氏の言説にある、ある言葉を類似した言葉に置き換えてその理由を述べます。

この言葉が今も色褪せていないどころか、亀井氏がこれを書いた20世紀の7合目辺りよりもむしろより切実味を帯びた言葉として響いてくることを実感していただけるのではないでしょうか?

人間の精神文明はなーんにも進歩していない・・・。

21世紀に生きる私たちは、真剣にこの言葉を考えてみる必要があるのではなかろうか?
過去のどの時代よりも文明は進み、私たち自身もそれを信じて疑わないが、しかし次のようなたった一つの質問を出してみるだけでよい。

何故、原子力発電のような、100%の制御が保証されない中では、未だかつてなかったような破壊的な殺人武器となり得るものを平和利用と称して使うのか。

その恐ろしさが分かってしまったにもかかわらず、今なお、それを禁止できないのは何故であるか?

置き換えた言葉、置き換えられた言葉をお分かりいただける方も多いのではないでしょうか?

亀井勝一郎氏のある言葉とは「原水爆」なのですが、20世紀の課題として挙げられた言葉も、「原発」と言う子どもまでを引き連れて当たり前のように21世紀の課題としてなだれ込んで来ています。

「原子力むら」で暮らす人々も、一個人として気分転換で「人と人の絆ほど大切なものは無い」などと語りながら共感を得る旅に出ることでしょう。

そして、旅から帰ってくれば何の矛盾を感じることなく再び「原子力むら」の住民であり続けます。
これが、『文明人』の定義でしょうか?

いつ致命的なすべり破壊をしてもおかしくないのは地層ではなく私たちの文明ではないのか?
人の生命に関わることですらこの有様ということは、小さな野蛮などは野放し状態と考えても差し支えないのではないのか?・・・そう思わずには居られません。

何も行政に関わる事象に止まらず、例えば、

  • 空調にあまりにも依存する生活がもたらした体の変化は文明か野蛮か?
  • 必要の無い飽食と軽労働志向がもたらした代謝異常は文明か野蛮か?
  • 必要も無いのに与える携帯によって子どもたちが得たものは文明か野蛮か?
  • 知力の損失の一因であろうゲーム・携帯は文明か野蛮か?

の如く、ことは科学技術に止まらないですね。

また、ことさら今の問題と言うわけではないですけれども、自殺にまで追い込んだ大津市のいじめ問題にしても、たとえ子どもとはいえ、これが文明人のすることか野蛮人のすることかと問われたらどうでしょうか?

最後に亀井勝一郎氏はこう結んでいます。

新しい時代に生まれたからというそれだけの理由で進歩しているとは言えず、逆に感覚上の大変な野蛮人になっているかもしれない。

そのチェンバレンの伝記が、
ネズミはまだ生きている―チェンバレンの伝記
として著作になっています。
チェンバレンに関して研究をしておられる楠家 重敏氏の著作です。

チェンバレンの原書は古本屋でお探しいただければあるかもしれません。
いずれにしても相当お高いですが、ご興味があられましたら読まれてみては如何でしょうか?

大震災による原発事故もそうですが、子どもたちのいじめのニュースを聞くにつけても、何故こうも他人の尊厳をいともたやすく踏みにじるのか?
こんな思いはいつの世になれば消えるのだろうかと悲しくなるばかりです。

私たちは、本当に文明人と言えるのでしょうか?
野蛮人ばかりに取り囲まれ、気付かないままに自分も野蛮人になってはいないでしょうか?


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