ラッパ鳴らしてお豆腐屋さん
2000.10.15著
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私が幼い頃、ラッパを鳴らしてお豆腐屋さんが自転車で売りに来ていました。
アルミのお弁当箱を持って走って買いに出た思い出があります。
その後すぐに、「主婦の店」が出現。結構遠いにもかかわらず母に連れられ歩いて買い物に行った記憶とともに、いつしかお豆腐屋さんも姿を消してしまいました。
「昔は良かった」などという懐古主義も私は嫌いですが、その昔に私たちは不要だからと焼却処理をしたんだけれども、ここに来て「あれは不要物ではなく本当は忘れ物だったんだ」ということに気付いたという事実は否めないでしょう。
昨今、私たちはあらゆる環境汚染と向き合って生きていかなければならない状況が加速されています。
ダイオキシン、環境ホルモン、放射性廃棄物、オゾン層破壊、・・・・。
先日、NHK教育テレビで「大量消費との決別」と題して国際共同企画での放送がされていました。
ご覧になられた方も多いと思います。
とにかく、人の欲望には凄まじいエネルギーがあります。
今、アメリカ人が一人当たりに消費する資源を全世界の全ての人が消費すれば、地球が5個必要になるというものでした。
何故消費を増加させ続けなければならないのか?
何故経済を成長させ続けなければならないのか?
若い頃から不思議でなりませんでしたが、なかなかこの疑問を他から耳にする機会もありませんでした。
”暗黙の了解”だというわけです。
小椋 桂さんの歌詞のなかに「言ってはならない真実を咥え 見慣れぬ小鳥が飛んでいく」という詩がありますが、さしずめ、この見慣れぬ小鳥の1羽が冒頭のミヒャエル・エンデ氏です。
又、これも最近、一部だけ何気なく見たのですが、筑紫哲也氏のニュース番組で世代間の討論会みたいなのをやっていて、その中で野坂昭之氏が「君たちもつけをどんどん先送りにすればいいんだよ」というような発言をされていました。
私はこの言葉の中にモアーとした拡がりというか掴みどころがないというか、不確定性原理を彷彿とさせるメージが真っ先に浮かびました。
筑紫哲也氏がフォローしていた「なんとかしようとするからこそ私たちは人間なんだ」というまぎれもない正論に安心しながらも、野坂昭之氏の真意は別にしても、「どうせ皆で寄ってたかって無茶苦茶にするんだろうから、つけの先送りで破滅するのもベストへの最も近道かもしれないよ」ということが正論である確率があることも私は否定し得ないように感じたのです。
経済成長→大量消費という呪縛にとり憑かれている限り、いつかは破綻が来るということだけは決定的だというのはほぼ間違いないと思います。
人も自然の一部に過ぎません。
自然の生産以上に消費することは、結局は自分の首を絞めていることは簡単な算術で明らかなことです。
それにもかかわらず、私たちがこのような呪縛から解放されないのは、結局「遅れて来たれる者」の首は「自分の首」ではないという切迫感の無さ、身勝手さによるものではないでしょうか?
環境を考えるとき、対処療法の技術の話は別として、「環境」だけ単独で考えることは意味の無いことです。
メッセージを頂いた、大学院で「環境」について研究されておられる学生さん。
人間が直面している最も大きなテーマです。
「環境回復」へのシナリオには何がポイントなのかをしっかり見極めて方向性が打ち出せるくらいに頑張って下さい。期待しております。
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