吉野源三郎-君たちはどう生きるか
生み出してゆく人は、それを受け取る人々より、はるかに肝心な人なんだ。
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君たちは目下消費専門家なんだから、その分際だけは守らなくてはならない。
吉野源三郎 -君たちはどう生きるか-
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2011.09.07著
ルイ・アラゴンの言葉について本コーナーにまとめた後、下の子どもが中学に入って以降のある日、嫁さんから、「子どもたちにこの本を読ませようと思うのだけれども、どうかな?」と1冊の本を手渡されました。
それが、吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」との出会いでした。
僕も、中高生から大学時代にかけて、人生を考えるための書籍は、それなりに読んだつもりでしたし、たとえ読んでいなくとも大概の名前は知っているはずだと思っていたのですが、このタイトルも名前も初めて耳にしたんですね。
きっと、最近の作家に違いないと思っていたら、何と巻末には、丸山真男氏の著者への回想録が記されていたのです。
丸山真男氏の著作は何冊か読んだこともあるのに、40歳を超えた歳になって、吉野源三郎なる名前は記憶にもないとはどういうことだろうと訝しく思ったものです。
ある意味、ありふれて且つ直截的と思えるタイトル名と中学生に読ませられる本という予備認識から、「まぁ、子どもたちのためにはいいんじゃないのかな」といった程度の気持ちでした。
出だしは、最初の章タイトルの「変な経験」という言葉通り、少々風変わりな印象を受けつつ、「なーんだ小説なのか~」と思いながら読み始めたのです。
難しい言葉もなく読みやすい文章で、まさに中学生向けとしてちょうどいいのかなと感じていました。
しかし、さらに章を進めていくと、ジワジワと深みが増して来ます。
内容が難しくなったのかと言えば、決してそういうことではなく、文章は淡々と同じように読みやすい調子で続いていくんですが、気持ちがどんどんとのめり込んでいくのですね。
日々の出来事やそこでコペル君が考えたことが日記のように綴られる中に、実に深い命題が埋め込まれていることを感じ始めます。
これを感じ、どんどんのめり込んでいくのは、僕のような大人の場合は、既に過去に接した書籍や社会科学理論と関連付けることができるからなんですね。
すなわち、実は、学者や知識人が専門書で紐解いている命題そのものが核にあるということです。
言わば、子どもにとっては、大人が方程式で解く問題を、子どもが××算として教えられるようなものだと言えばいいでしょうか。
大人になって読み返すと、「このときは、このことを読んでいたのか」と感慨深く思い返すといった代物になるのだと思います。
勇気、友情、貧乏、誇り、裏切り・・・。
そういった「にんげん」に通じる深い深い命題を、どこにでもある日常の出来事を通して、中学生が理解できるレベルの至って平易な文章に還元して、しかも全く説教臭くなく、ここまで表現した著作は今までに例を見ない思いがします。
「目からウロコ」とは、本書を一読する中で感じることを表現するためにあるのかもしれないと思うほどでしたね。
そして、そのことはアマゾンのレビューを確認されてもお分かりいただけると思います。
70件以上あるレビューのほとんどが★★★★★という驚異的な感銘を与えているのですね。
一人の人間が育つにあたって最低限認識しておかねばならないことを、主義・主張・イデオロギーを超克して、実にフランクに語りかけているのが本書の特徴です。
我が子を育てるにあたって、例えば、人を傷つけてはならないとか人のものを盗んではならないとか、そういう当然のモラルを教えることですら押し付けであると考えるような認識の持ち主には、本書のような極めてフランクなメッセージにさえ不満を覚えるのかもしれませんが・・・。
さて、僕は、「ルイ・アラゴンの言葉に寄せて」 において、現代社会の病巣の本質を突いている
ある部分について別ページで書きたいと記していました。
その「ある部分」とは、本著作では、おじさんがコペル君に教える「生産関係」という言葉で表現されている言葉なんですね。
この「生産関係」に関する認識や課題が、本書では一貫した軸として流れています。
冒頭で引用した文章は、多分、あまり引用される部分ではないかもしれませんが、この「生産関係」に関連しての認識の核となる言葉だと僕は考えるのです。
「生産関係」と言うと、それだけで反発を感じる人も居られるのかもしれません。
しかし、中学生コペル君自身が「人間分子の関係 網目の法則」を発見したように、現実に自分自身が存在し得ている根拠に思いを馳せるだけで、この関係性が僕たちの命綱であることは自明の理として認識されるのではないでしょうか?
素直に見つめれば分別できるはずのことが、日常生活では意識されない。
その関連性で繋がっているはずの個々の人間分子が、あたかも独立に自身だけの力で動けているかのように勘違いし、トマス・ホッブズの「万人の万人に対する闘争」が如き動きをしてしまう。
そして、「人間分子の関係 網目の法則」の中でより良い関係性を築くために、どのように分子運動を統一していくのかという、まさに、時代を超えて多くの知性が悩んできた課題が、この著作に流れるモチーフと僕は捉えています。
現代社会において、僕たちの未来のありよう、いや未来の存在自体の有無を左右する大きな問題点が、この二つの言葉にみごとに網羅されていると感じているわけです。
ここまでは大人が読んだ目でご紹介しましたが、中学生や高校生から見た本書の位置づけを考えてみたいと思います。
よく、中学生や高校生が、「何のために勉強なんてするの?」とか「勉強って社会に出て役に立つの?」なんて質問や愚痴を目にし耳にします。
でも、その多くは、勉強が嫌だったり成績が上がらなかったりする現実の現象そのものを合理化するための質問や愚痴であって、実際は質問する割には何も考えていないというケースが多いと感じるのです。
何も行動しなければ、何も考えなければ、その答えなど出せるはずもありません。
中学生や高校生だから考えなくてもいい問題ではなく、むしろ、この時期に勉強をすることの意味や生きることの意味を考えずして、何をすることがあるでしょうか?
もし、「何のために勉強なんてするの?」というような問いを発すれば、多くは「答えはないんです。君自身が考えなさい!」というありきたりな回答を貰うことになるでしょう。
しかし、この書には、はっきりと「何のために勉強なんてするの?」に対する答えが、おじさんによって明確に提示されるのですね。
僕は、この明確な答えをすることこそが重要だと考えています。
何故なら、そこには「何故、人を傷つけてはいけないのか?」に対する答えと同じ重みのある、人間の人間たることの基本原理の認識が含まれているからです。
その認識を提示することもなく、いきなり、「あなたの自由でしょ!」と曖昧にして来たところに、現代の主たる悩ましき問題の元凶があることは間違いがないと思うわけです。
曖昧に、君自身の個性に属することだからと任せきりにするだけでは不十分なんですね。
これは、一生に渡って、冒頭の引用における「分際を守る」という部分と関わってくることは想像するにやぶさかではありません。
また、観点がコロっと変わりますが、数学や物理が苦手な人には、やはり「目からウロコ」の説明だと感じるであろう著述部分があります。
理系の僕などは日常的な考えるプロセスでもあり、ましてや教え子たちを指導する時にはよく使う表現ですから、当たり前に感じてしまうのですが、そうでない方には、科学的、論理的に考えるということのプロセスが、意外に誰でも着眼するようなところにあるんだなということに感動していただくことが出来る部分かもしれません。
つまらないと思っている勉強も、こういう風に考えると、実に面白く身近に感じることができるよということを感じるだけでも、勉強に対する姿勢や取り組み方を変えてくれる契機になるかもしれません。
ともかくも、名著中の名著として、是非、お子さんはもとより大人の皆さんも一読されんことをお勧めしたいと思います。
これだけいえば、もう君には、勉強の必要は、お説教しないでもわかってもらえると思う。
-答えは、実際にこの本を読めば分かります。是非、その意味を噛み締められてください。-
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