聖夜の前に
2000.12.23著
街はきらびやかに着飾り、いよいよ明日はクリスマス・イヴ。
2000年前、救いの御子がベツレヘムの厩で誕生したその風景とはおおよそ釣り合いのとれない豪奢なきらめきと喧騒の中にわたし達はある。
クリスチャンでも聖なる宗教者でもない唯物論者の私ですら、平和ボケ日本の無神経さと無節操さには正直ウンザリする。
聖ニコラウスが貧しい3姉妹のために、煙突から投げ入れた金貨。
それが受け入れられる靴下を暖炉で乾かす貧しい3姉妹も、わたし達の国では、とんと姿を隠してしまったのだろうか。
ふと胸にある言葉が蘇る。
「清貧」
過去の遺物となってしまったのだろうか、耳にすることはまず無いと言ってよい。
”貧しさ”からの解放は、それと同時に”清らかさ”の喪失という結末をも呼び込んだかのように、街のどこを見てもその姿をもはや見かけることはない。
「自立」と「清らかさ」はおよそ相容れてはいけないものであるかのように、忽然と姿を消してしまったのだ。
巷では、クリスマスの予算についてアンケートなどを取っている。
平均予算は、1000年代最後の昨年に比し、かなりダウンの3万円強とか。
「意外に少ないね!」と男性。
「もう欲しいものなんてほとんど無い」と女性。
格式ある”GOLD”も今や「品格」とは全くの絶縁状態にある。
もちろん、それ以前に「価値」とすら無縁になって久しい。
単なる無教養な”堕落”や”退廃”を「価値」と呼ぶなら別の話ではあるが・・・。
神戸ルミナリエに人は殺到するが、見えないところで悲鳴をあげている環境やエネルギー問題に思いを馳せる者は少ない。
ダイオキシン、地球温暖化、産業廃棄物、放射性廃棄物、環境ホルモン・・・。
そのアコースティック・エミッションが私たち一人一人の耳に届いていても真剣に身近からでも見直そうとする人は少ない。
ゴミ焼却場がいくらあっても足りなくなるとしても、「自分の街に建設されるのは嫌だ、金払って利用してやるからおまえの街に建てればいい」・・・。
そして、ゴミは垂れ流し続ける。
元を少なくしようという発想もしない。
エゴイズムの権化となった人間。
関心のあるのは、人より上の、それもしょうむない属性の獲得だけ・・・。
唯物論者ですら、悔しいけれど、もう救いの御子に救いを求めるしかないと諦める・・・。
宗教者は唯物論者の敵などではなく、むしろ社会を考える良き仲間だったと・・。
そんなときがすでに来たように思われてならない。
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