ハーバード大学

お馴染みの脳科学者 茂木 健一郎 氏とハーバード大学で理論物理学の道を歩んでおられる北川 拓也 氏の『天才の作り方』という対談があります。(有料コンテンツです)

今回は、その12回目『受験テクニックだけを教えると、進学率は伸び悩む』 と題した部分を題材に、受験テクニックと動機付けについてまとめてみたいと思います。

茂木 健一郎 氏のお話の中に、ある中高一貫の私立校では数学の先生が教えるのにすごく苦労されているという話が紹介されていました。

どうやら、数学を無理やりやらされた感じで入学してくる子が多く、その反動で数学嫌いが多くなっているということのようです。

友人のサイトで、Z会職員の方より「生徒の数学能力は歴然として落ちてきている」とお聞きした評価とまさに符合するお話でした。

さらに、茂木氏のお話では、別の中高一貫校では、難関校への進学率をあげるために中学校1年のころから戦略的に大学入試のための即戦力演習方式で授業を進めているそうなんですが、結局、難関校への進学率は伸び悩んでいるということでした。

僕は、以前から「バネを弾性限度を超えるほど引っ張ったら塑性変形して元に戻らなくなっちゃうよ!」ということを、いろんなところで書いてきましたが、まさにその見解を帰納的に結論できるための材料が増えたということを示しているのではないかと捉えています。

さて、北川 拓也 氏は灘高校から即ハーバード大学という異色の選択をされたユニークな方ですが、灘高校においては、本質を教えず小手先のテクニックを教えようとすると、先生は生徒から尊敬されなかったと仰っています。

また、茂木 健一郎 氏も母校 東京学芸大付属高校では【知の大きな木を育てるような授業】をしていたと仰っています。

ここで、「灘高生だからこそ、学芸大付属校生だからこそ言える言葉ではないのか?」と思われる方も多いかもしれません。

しかし、だからといって「我々の凡庸レベルでは受験テクニックでしか対抗できないんだ」と考えてしまうと、茂木 氏の挙げられた上の実例と同じような事態を個人レベルで招いてしまう可能性が高くなることは間違いのないことでしょう。

と言うよりも、結局、【自分の血となり肉とならない=自分の幸せに繋がらない】ことをしているに過ぎないとは考えませんか?

むしろ、優秀な彼らのレベルにはとても及ばない普通の平均的レベルだからこそ、本質を根気よく語ってやらねばならないとは考えませんか?
大きく伸ばしてあげようと願うのであれば・・・。

灘高生のレベルであれば、逆に、「先生が本質教えないのであれば自分で本質掴むよ!」ができちゃうレベルなんですよ。

もし、同じ灘高生でそれが出来ないのであれば、おそらく無理やり猛勉強させられて合格した層であるからが故になるのでしょうね。
この差は、次に語ることで明確に分かります。

北川 拓也 氏は親に「勉強しなさい!」言われたことはほとんどなく、【学ぶのが好きで、自然に勉強してたって感じ】だったそうです。

僕がネットで知り合った東大大学院法学卒修士でマルチリンガルの松平 勝男 氏も全く同じように自然に勉強されていたようです。
共通しているのは、いずれもが今でも日々勉強されているということです。

僕の場合、前者は同じですけれど、残念ながら、後者は少なくとも中学終了まではそこまでには辿り着かなかったですね。

だからこそ、15歳~17歳の間に自然に勉強しているような自分を確立さえできれば、その瞬間から幸せに繋がる生き方が拓けて来ることを語る資格はあるのだと考えています。

とは言っても、何かの動機付けさえ出来てしまえば、彼らの仲間入りできることは僕ならずとも多くの方が経験してきていることではないでしょうか?
(仲間入りというのは、もちろん有名になるということではありません)

逆に言えば、この時期にこれを逃すと、人生の中ではなかなか学ぶ術を知らないまま終わってしまいがちだということにもなるのですが、長い目で見れば、「決して時期の問題ではなかった」と結果的に言える方も少なからず居られるはずです。
真に気付いた時が本当の自分の誕生日になるのではないでしょうか?

無理やりさせられた勉強はどこかでプッツリ切れてしまいますが、内発的な動機に突き動かされた学びは一生続くということをしっかり基本に据えていただければ幸いです。

内発的な動機に突き動かされた勉強をしていくと、北川 拓也 氏のように、その後もステータスにはこだわった選択ではなく、「何をしたいのか」に突き動かされた選択をする傾向が強くなるでしょう。

それが出来ること自体、ある意味羨ましい環境とも言えるわけですが、それは言っても詮無いことですし、「したいこと」を追求していくことは誰でもが自分の環境に応じてそれなりに出来るはずなんですね。

ただ、こういった自主性を嫌い、親の思惑の中から飛び出させないようにしたいという保護者の方も結構おられるかもしれませんね。
「勉強は出来るようになって欲しいけれど、好きな道を勝手に進まれても困る!言われた通りにパターンで処理できる秀才として高給の取れる業界の大手に就職してくれればいい」というタイプです。

それはそれで結構なのですが、無理やりさせられた勉強に耐え切れた人間やテクニックやパターンでしか問題を処理したことがない人間は、僕などは逆に人間として怖い面を感じてしまい、究極の信用はできないとして距離をおいてしまいます。

企業自体も、今後はますますこういったタイプを好まないでしょうね。

さて、【内発的な動機】を北川 拓也 氏は本能から生まれるものだと述べておられましたが、決してそれだけではないと僕は考えています。

動機付けを持った数少ない人の中でも本当に百人百様の動機付けがあるわけで、決してアプリオリ(先験的)に内在しているものに依るだけではなく、アポステリオリ(後験的)に挿入される動機の方がむしろ一般的なのではないでしょうか?

北川 拓也 氏や松平 勝男 氏のような【内発的な動機】だけではなく、それこそ、ここまでに語った【本質を教えること】が動機付けの直接的契機になることもあるでしょうし、読書や新聞などの文字からジワジワと醸成されたり、あるいは突発信号的にキャッチされたりする動機もあるでしょう。

いずれにしても、無理やりさせられる勉強や受験テクニックONLYからは決して何も生まれてこないということだけは確かそうです。
ですから、【外発的な動機】を見つける機会を如何に沢山与えてあげるかが指導者と保護者の最大の役目というものだと思うのです。

僕たちの書いた【帝都大学へのビジョン】の付属として、まずは、因数分解と式の展開・二次関数・三角関数の本質を理解してもらう資料を付けたのは、まさに、数学で躓いている子の動機付けになり得る素材だからという目論見があったわけです。
本質を分かりやすく系統立てて理解した時に生まれるかもしれない動機付けを期待しての資料というわけです。

二次関数の本質が分かっていないのに、微分や積分をいくら分かりやすく説明してもらっても何の動機付けにも繋がらないですよね?
裏返せば、二次関数の本質が分かっているような子であれば、あとは苦痛を伴うことなく自力で自然に楽しんだりトライしていけるものだということが言えることになるのですね。

最後に、僕は受験テクニックを否定しているわけではありません。
受験テクニックは持っていた方が便利ですし効率的です。

しかし、本質を理解してこそのテクニックであること、本質を理解しないテクニックONLYは反って記憶しにくいですし、心を疲弊させるということを知っておいていただければ、今後の一つの指標としてお役に立つと確信しています。