本カテゴリー「君が東大に行ける理由」で、2012年東大文系の数学入試問題2問を、思考プロセス的に紐解いてみました。

「帝都大学へのビジョン」に入れている資料の中の各大学の「入試問題の着眼点」は、脳細胞の動きに視座を置いた資料としているのですが、今回はご存知の諸君も居られると思うのですが、「いかにして問題をとくか」というG.ポリアの切り口をそのまま使ってみたのです。

如何でしたか?
決して君が想像していたような難しい問題ではなかったのではないですか?

学校や塾で解かされた問題の方が難しいとすら思った子も居ると思います。

全部が全部、そうは問屋が卸してはくれないでしょうが、少なくとも4問中2問は普通の子が基本を充分理解していれば、充分得点できるほどシンプルな問題が出題されていることがはっきり見えます。

出題の意図は、「本当に基本を理解しているか」レベルです。
そう、50点は確保できるとすれば、合格も射程圏だと言えるのではないでしょうか?
(実は、第3問も4問もまぁまぁというレベルです)

先に、誤解のないように断っておきますね。
僕は、東大に行くことを勧めているわけでも東大こそ最高なんだと思っているわけでもありません。
現に、東大を卒業しても東大の名に相応しくないような人(地位や収入など人の価値とは何の関係もありません)も見かけますからね。

本心の素直な言葉で言えば、全国どの大学に行っても今の東大生と変わらぬ学力レベルの学生がたくさん居て欲しいと思うばかりなんです。

いや、普通の諸君にこそ、なまじ記憶力が良いあるいは頭が良いだけの頼りない一流大学生などを駆逐して欲しいと思っているわけです。
このことこそが、僕が「君の帝都大学」と表現する所以であり出版した意図なんですね。

ですから、「君が東大に行ける理由」も、学力に悩む君に、別に大した差があるわけではないことを知ってもらうために書いています。
現に、ネット販売してから、偏差値30半ばの子が、1年で偏差値70台を安定させてくれたことが、この上もなく嬉しいわけです。

彼が、超難関医学部を射程圏に入れたから?
いいえ、もちろんそんな狭量な気持ちは僕にはもともとありません。
勉強の何たるかが分らずに彷徨っていた子が、「学ぶ」本質を掴むことで、自分のためにと同時に社会のための好循環のループに入って行ってくれたことが最高の喜びなんです。

志望が国立の超難関医学部でなく、単なる東大止まりであれば、高3で入院をするアクシデントに見舞われたとしても合格されていたことでしょう。
しかも、名もない高校から現役で・・・。

さて、見て頂いて分るように、東大の問題が難しいなどということは全くありません。
東大に合格した諸君も、雲の上の存在でもなんでもないことが分かっていただけることでしょう。

勉強は暗記だなどと思い込み過ぎると、ミスミス向上のチャンスを逃してしまいます。
大人になって、「こんなに大したことなければ勉強して受けられたかも」などと愚痴を言わないでほしいのです。

「なーんだ、大したことねぇんだ・・」
さて、ここからです、とてつもなく大きな差を生み出す要素が待ち受けているのは・・。

実は、学力の差は、もともとの頭の良さなんかよりは、はるかに大きく、「自分を律することができるかどうか?」に大きく左右されることになります。

自分を律することには、勉強法の妥当性も相互作用を及ぼしますが、それ以前に、携帯が仕事になっていたり、友達とダラダラ遊ぶことに気を取られていたのでは100%成し得ないことだけは確かです。

難しい問題が解けないから東大など夢の夢なのではなく、メリハリのない日常から脱却しないから夢の夢になっていることを今認識されてください。

自分を律する生活は、入試問題の超難問を解くよりも難しいのが昨今の環境でしょうから、ここで差が付いてしまっているのです。

こうなると、いくら勉強法の本を読んでも糠に釘です。
魔法の勉強法など探し求める前に、人としてのあり方を見つめ直さねばなりません。

勉強するわけでもなく、部活するわけでもなく、適当にバイトしては四六時中友達と群れて、それで都合の良いポジションを手に入れたいなどと言うのであれば、「世の中をなめるんじゃねぇよ!」という言葉がピッタリになってしまいます。

部活をしっかりし、友達とも豊かに付き合い、それで東大に合格する子はいくらでも居るのに比べれば、あまりにももったいない生き方をしているのではないかと思わざるを得ません。

現実世界

学部は違いますが我が後輩(京大情報工学OB)とある臨床医の言をご紹介しておきましょう。

たかが盲腸の診断すらできなくなっている医者が蔓延る世の中で、10人専門家がいれば8人はやぶだといっていいでしょう。
まして、ネット情報に至っては9人はやぶでしょう。

それぞれの周囲を見渡せば本当のプロといえる人はごく一握りだと誰もが知っているはずです。

その中で生活上の問題を切り抜けていくには、俗流社会学や俗流心理学・俗流分子生物学・俗流脳科学・俗流AIなんぞをこねくり回して遊ぶのでなく、知識、感性を自分の責任で磨いて対応するしかないですよね。


いくら教科書や※※※学会で教わったことがないからと言って、臨床経験を積めば、おかしい?と思う筈です。

文献的な情報の受け売りばかりだけで、自分達の頭を使って考えることがなくなっているのが現状です。

世間的には、お賢い人がなれると思われている医学の世界ですら、当事者や見る人が見れば、現実はこんなものです。

あなたの最寄りで、何もかも信頼できるお医者さんを探せれば、それは非常に幸運なことですが、まぁ十中八九紋切り型のことしか言いませんね。

それ自体は何の落ち度もないように見えますが、大いに患者を不利益に導いていることもあることを経験された方も多いのではないでしょうか?

ましてや、生命には関わらない教育の世界では、指導者がやぶである確率など、さらに高いことは目に見えています。

お子さんの成績が上がるための条件は、そもそも真面目にやる気持ちがない場合を除いては、

  • 勉強の仕方の流儀を我がものとして確立する
  • それぞれの実際の学習内容に関して、自分で自分を納得させる理解をする術を会得する

という2点を、自力あるいは第三者のサポートを得て確立するということ以外にはあり得ません。

ところが、そんなところは突いてくれないのが現実社会です。
たいていは、準備された模範解答を恭しくご教示頂いて、エラそうに「俺のようになれるだろ?」というスタンスではないですか?

準備していなければ、どれだけの指導者が慌てふためくことでしょうか?
準備しなければ移動できないこと、及び「それはそれで教育になることを受け入れられない指導者のナント多いことか?」ということが問題なのです。

どんな問題でも、現実には、ことによって他人をあてにすることほど実の無いことはないのは確かですから、先ずは、自分の流儀を曲がりなりにも確立すべく動くのが優先されるべきだと考えます。

何も、他人を信じるなと言っているわけではないことをご理解くださいませ。