仕方がないからという義務感、言われた通りに操作する奴隷の如き従順さ、丸暗記すれば勝ちといった非合理な禁欲主義、これらを一擲して、諸君の地下水を無我夢中の努力の中で汲み出してください。 どの教科でも、たくさんの問題をそこそこにこなすだけに終始するのではなく、あくまでも1つ1つに自己の心血を注ぐ魂を持たない限り、自分でも自信となる成長は望めません。
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美しい日本の私~現代文・英語・社会をはじめとする勉強のススメ
川端康成がノーベル賞受賞講演で語ったように「祖に逢うては祖の脛をかじり」では、何事をも修めることは出来ないと心から理解できたとき、人は必ず成長するのです。「禅でも師に指導され、師と問答して啓発され、禅の古典を習学するのはもちろんですが、思索の主はあくまで自己、悟りは自分ひとりの力でひらかねばならないのです。」という川端の言葉を「勉強でも師に指導され、師と問答して啓発され、勉強の常道を習学するのはもちろんですが、学ぶ主はあくまで自己、本質の理解は自分ひとりの力でひらかねばならないのです。」という言葉に置き換えて考えてみられては如何でしょうか?
河盛好蔵『Bクラスの弁』~分に甘んじて、しかも心腐らず
自己の能力と他人の才能に対する正しい判断や評価のもとに、分際をわきまえ、Bクラスの勉強・仕事を黙々と積み重ねるところに充実した人生があり、そのことによってAクラスへの道が開かれることがあれば、それは思いがけないラッキーとして受け入れるほどの気持ちが大切です
自分の手で、爪に血をしたたらせて、こじあける
どんな分野に進むにしろ、普通の一般社会に出るにしろ、自分たちが羽生選手になれるはずもないからといって、何もこじ開けようとしないのであれば、それは正しいことでしょうか?そして何より自分の人生にとって何らかのメリットがあるでしょうか?器の大小には関係なく、世間の甘言に惑わされることなく、努力するということ自体が尊いという気持ちを出発点とされてください。
脳に叡智を!~学力低下の裏に潜むものから ~
『教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に自分の中に残るものをいう。』『自分の中に残ったもの』とは何でしょうか?端的に言えば、誰にとってもは因数分解や二次関数そのものが大事なのではなく、これらを理解しようとした君たちの脳の軌跡こそが、自分自身や社会の裾野を作っていくということでしょうか!それこそが、『叡知』という一言で表せるのではないでしょうか?