前回は、数学に興味を持たせるための方法として、その方面では有名な芳沢光雄先生の力作本をご紹介いたしました。

非常に優れた本ではありますが、それでも、子どもにとっては難しかったり、説明不足だったりは付きまといますから、本とのつなぎ役的でしかも見守り役をも果たす指導者の存在が望まれるところです。

今回は、実際にしなければいけない勉強を通じて、算数嫌いや苦手を解消できるためにはどういったことをしなければならないのか?を整理してみたいと思います。

実は、数学のできない子、苦手な子には特徴的な共通点があります。

これらの共通点は、高校生とか小学生とか年齢に関係なく、基本的に算数への対応の仕方の中にあります。
もっと正確に言えば、数字への対応の仕方にあります。

高校生も、内容が難しくなったから苦手になっていったというよりも、数字への対応の仕方が出来ていないままであることが根源にあるのですね。

高校数学でもポンポン出来る子とチンプンカンプンの子との差は、元を辿れば、小学校の段階であるいは少なくとも中学低学年の段階で、数字の扱い方が分かってしまったかどうかなんです。

その意味で、高校生も根本的に数学苦手を克服しようと思えば、二次関数の復習よりも、【1,3,8,15,・・・】を目にしたら、平方数に1足りない数が並んでいるというビューを見つける力、数字への対応の仕方を訓練する方が早道なのです。

さて、その最も深い層での共通点からお話を始めると、それは計算でつまづくという共通点です。

これには、計算が遅い、あるいはよく間違えるという2つのタイプがあります。

  1. 筆算をしなければ計算ができない
  2. 計算はチャチャッとするが、よく答えが違っている

前者は、悪い言葉で言えば「のろま」、後者は「おっちょこちょい」ということになるでしょうか?

タイプは真逆なのですが、テストの点が伸び悩むことは共通しており、自分は算数が苦手だと思ってしまうのですね。

人は誰でも、成果が出ないと自分にガックリしてしまってやる気も削がれますから当然の結果と言えます。

ここが、最も深い層での算数・数学が好きになれない原因です。

中学になっても九九が言えないという場合は特殊な場合としてここではペンディングとしておきたいのですが、九九は全ての原点ですから、最小限のお話だけしておく必要があるでしょう。

小学校では、九九が言えないとお悩みの保護者さんも多いのかもしれませんが、たいていは知らぬ間に言えるようになるものです。

私の娘も九九がマスターできたのは5年生でしたけれど、担任から「この子は考える力がすごくある」と言われるようにもなりました。

もちろんほったらかしにしておくのはマズいですが、必要以上にカリカリすることはマイナス要因にしかなりません。

8×9=72が言えなくて、「8が9個あるから72でしょ!」なんて怒っても意味のないことです。

「8が9個あるから72」という理屈を教えることと「8×9=72」と即座に出て来ることとはどう考えても別のことですね。
理屈が分かるからすぐに答えが出て来るのではありません。

むしろ、理屈だけから答えを出すのであれば、よくても答えが出るまで数秒以上かかって当たり前です。

トンチンカンなことで怒るよりも、理屈を理解させるということとは別に、体で覚える訓練を繰り返すことを怠らせずに、結果はその子の発達に任せて待つという姿勢が望ましいですね。

九九が言えるようになった後はどうでしょうか?

一般的に計算において一番克服しておいた方が好ましい課題は、数が小さい2桁同志の掛け算までは筆算しなくても頭の中で計算できる処理能力を身に付けておくということです。

例えば、17×23ならどうでしょうか?

①17を20倍して340 → 頭の片隅に一旦置いておく → 17を3倍して51 → 片隅に置いていた340とこの51を足して391

これを頭の中で出来るぐらいの力は付けておいた方が望ましいですね。

これは掛け算の意味の理解にもなり、理解が出来なければ意味を考えることと並行して鍛錬することができます。

この程度の計算が頭で出来るようになれば、ものごとを合理的に処理しようという意識に繋がりますし、何よりも自信に繋がります。

このとき、

②23を10倍して230 → 頭の片隅に一旦置いておく → 23を7倍して161 → 片隅に置いていた230とこの161を足して391

としてもいいわけですが、どちらが君やりやすい?って振ってやると、自分の流儀を自分で決める切っ掛けにもなります。

私は①の17を3倍して加える方が、23を7倍して加えるよりも間違えないと思うので①でやっちゃう平凡な人間ですが…。

もう少し例を挙げておきましょうか!

  • 38×25
  • 38を100倍して3800 → 3800を4で割って950

    次回にお話する「数字を様々なビューで見る=分節する」と重複しますが、「25は100を4で割った数である」という見方ができれば、25を掛けるということは、一旦100倍して4で割ればいいと考えることができます。

  • 38×33
  • 38を30倍すると1140 → 38を3倍すると左の結果の10分の1の114 → 1140と114を足して1254

    38を11倍するということは、38の10倍の380とその10分の1の38を足せばいいということですね。

  • 27×49
  • 27を50倍すると1350 → 27を1個分をここから引いて1323

全てを頭の中でする必要もありませんので、途中結果を紙の隅っこに書き留めておいてももちろん構いませんし、ちょっとややこしいと思ったらその方がミスを減らすことになります。

ともかくも、間違えようもないような筆算をドリルで飽き飽きするほど練習するのであれば、2桁程度の暗算の訓練をする方が、よほど力がつきますし、興味にも繋がっていきます。

これがスラスラでき出すと、今度は間違えることが多くなります。
公文式をやっている子では特に、チャメチャ早く筆算をするけれどよく計算を間違える子がいます。

自分の悪いクセやらうっかりが時々起こるようですが、事務処理能力に自信を持ちすぎて、機械的一様さの中で見直すべきかどうかの判断が埋没してしまうので結局見直さないというクセがついてしまっているようです。

その意味でも、機械処理的になる筆算は度を超すと反って弊害となる場合があります。
ですから、上記の暗算(できるだけ頭の中で計算をする)の鍛錬の方が、見直すべきかどうかの不安点が見えやすいのだと思われます。

・・・続く・・・


現実世界

学部は違いますが我が後輩(京大情報工学OB)とある臨床医の言をご紹介しておきましょう。

たかが盲腸の診断すらできなくなっている医者が蔓延る世の中で、10人専門家がいれば8人はやぶだといっていいでしょう。
まして、ネット情報に至っては9人はやぶでしょう。

それぞれの周囲を見渡せば本当のプロといえる人はごく一握りだと誰もが知っているはずです。

その中で生活上の問題を切り抜けていくには、俗流社会学や俗流心理学・俗流分子生物学・俗流脳科学・俗流AIなんぞをこねくり回して遊ぶのでなく、知識、感性を自分の責任で磨いて対応するしかないですよね。


いくら教科書や※※※学会で教わったことがないからと言って、臨床経験を積めば、おかしい?と思う筈です。

文献的な情報の受け売りばかりだけで、自分達の頭を使って考えることがなくなっているのが現状です。

世間的には、お賢い人がなれると思われている医学の世界ですら、当事者や見る人が見れば、現実はこんなものです。

あなたの最寄りで、何もかも信頼できるお医者さんを探せれば、それは非常に幸運なことですが、まぁ十中八九紋切り型のことしか言いませんね。

それ自体は何の落ち度もないように見えますが、大いに患者を不利益に導いていることもあることを経験された方も多いのではないでしょうか?

ましてや、生命には関わらない教育の世界では、指導者がやぶである確率など、さらに高いことは目に見えています。

お子さんの成績が上がるための条件は、そもそも真面目にやる気持ちがない場合を除いては、

  • 勉強の仕方の流儀を我がものとして確立する
  • それぞれの実際の学習内容に関して、自分で自分を納得させる理解をする術を会得する

という2点を、自力あるいは第三者のサポートを得て確立するということ以外にはあり得ません。

ところが、そんなところは突いてくれないのが現実社会です。
たいていは、準備された模範解答を恭しくご教示頂いて、エラそうに「俺のようになれるだろ?」というスタンスではないですか?

準備していなければ、どれだけの指導者が慌てふためくことでしょうか?
準備しなければ移動できないこと、及び「それはそれで教育になることを受け入れられない指導者のナント多いことか?」ということが問題なのです。

どんな問題でも、現実には、ことによって他人をあてにすることほど実の無いことはないのは確かですから、先ずは、自分の流儀を曲がりなりにも確立すべく動くのが優先されるべきだと考えます。

何も、他人を信じるなと言っているわけではないことをご理解くださいませ。