算数・数学のセンスの源泉は「数字への対応の仕方」

前回は、数学に興味を持たせるための方法として、読み物という視座から、具体的に掘り下げる素材として、その方面では有名な芳沢光雄先生の力作本をご紹介いたしました。

非常に優れた本ではありますが、それでも、子どもにとっては難しかったり、説明不足だったりは付きまといますから、本とのつなぎ役的でしかも見守り役をも果たす指導者の存在が望まれるところです。

今回は、実際にしなければいけない勉強を通じて、算数嫌いや苦手を解消できるためにはどういったことをしなければならないのか?を整理してみたいと思います。

実は、数学のできない子、苦手な子には特徴的な共通点があります。

これらの共通点は、高校生とか小学生とかの年齢には関係なく、基本的に算数への対応の仕方の中にあります。
もっと正確に言えば、数字への対応の仕方にあります。

高校生も、内容が難しくなったから苦手になっていったというよりも、数字への対応の仕方が出来ていないままであることが根源にあることで、ますます数学がチンプンカンプンになってくるのです。

数学は、本当に算数段階での上流をいい加減にスルーすることが致命傷となる科目です。

習った内容は理解できても、いざ問題になると何をしていいのか分からなくなったり、処理の仕方が思い浮かばないといった現象となって現れます。

高校数学でもポンポン出来る子とチンプンカンプンの子との差は、元を辿れば、小学校の段階で、あるいは少なくとも中学低学年の段階で数字の扱い方・見方を身に着けたかどうかにあります。
(日本語力という要素がありますが、これはそれなりにあって同レベルと仮定しての比較です)

数学以外の科目では、目覚めれば成績を上げていくことは出来ますが、数学は、たとえ目覚めても源流から正していかないと成績は上がっていきません。
それこそが「センス」が最も要求される科目である所以です。

その意味で、高校生も根本的に数学苦手を克服しようと思えば、二次関数の復習よりも、「1,3,8,15,・・・」を目にしたら、平方数に1足りない数が並んでいるというビューを見つける力、数字への対応の仕方を訓練する方が先決課題と言えます。

これからどんな社会になるかは知る由もありませんが、少なくとも堅気の社会が残らない限りは社会は成立しないことだけは確かですから、そこで生きていってほしいと願われるならば、そういった社会では数学力は本人の能力や真面目さ・一生懸命さを判断するバロメータとしてお子さんの年収を決定づけることでしょう。

だって、あらゆる現代文明の営みは、数学とこれに依存する物理、及び主には実験的試行錯誤に依存する化学・生物学・医学などの自然科学で成り立っているのですから。

計算でつまづかないための2桁どうしのかけ算訓練

さて、その最も深い層での共通点からお話を始めると、それは計算でつまづくという共通点です。

これには、計算が遅い、あるいはよく間違えるという2つのタイプがあります。

  1. 筆算をしなければ計算ができない
  2. 計算はチャチャッとするが、よく答えが違っている

前者は、悪い言葉で言えば「のろま」、後者は「おっちょこちょい」ということになるでしょうか?

タイプは真逆なのですが、テストの点が伸び悩むことは共通しており、自分は算数が苦手だと思ってしまうところで共通します。

人は誰でも、成果が出ないと自分にガックリしてしまって、やる気も削がれますよね。

これが、最も深い層での算数・数学が好きになれない原因です。

算数のセンスを身に着ける以前に落っこちしてしまう一つの要因になります。

中学になっても九九が言えないという場合は特殊な場合としてここではペンディングとしておきたいのですが、九九は全ての原点ですから、最小限のお話だけしておく必要があるでしょう。

小学校では、九九が言えないとお悩みの保護者さんも多いのかもしれませんが、たいていは知らぬ間に言えるようになるものです。

私の娘も九九がマスターできたのは5年生でしたけれど、担任から「この子は考える力がすごくある」と言われるようにもなりました。

もちろんほったらかしにしておくのはマズいですが、必要以上にカリカリすることはマイナス要因にしかなりません。

8×9=72が言えなくて、「8が9個あるから72でしょ!」なんて怒っても意味のないことです。

「8が9個あるから72」という理屈を教えることと「8×9=72」と即座に出て来ることとはどう考えても別のことですね。
理屈が分かるからすぐに答えが出て来るのではありません。

むしろ、理屈だけから答えを出すのであれば、よくても答えが出るまで数秒以上かかって当たり前!

トンチンカンなことで怒るよりも、理屈を理解させるということとは別に、体で覚える訓練を繰り返すことを怠らせずに、結果はその子の発達に任せて待つという姿勢が望ましいですね。

九九が言えるようになった後はどうでしょうか?

一般的に、計算において一番克服しておいた方が好ましい課題は、数が小さい2桁同志の掛け算までは筆算しなくても頭の中で計算できる処理能力を身に着けておくということです。

例えば、17×23ならどうでしょうか?

  1. 17を20倍して340 → 頭の片隅に一旦置いておく → 17を3倍して51 → 片隅に置いていた340とこの51を足して391
  2. これを頭の中で出来るぐらいの力は付けておいた方が望ましいですね。

    掛け算の意味の理解にもなり、理解が出来なければ意味を考えることと並行して鍛錬することができます。

    この程度の計算が頭で出来るようになれば、ものごとを合理的、効率的に処理しようという意識に繋がりますし、何よりも自信に繋がります。

    ただ、完全に暗算でできなくてもいいですよ!
    僕なんかも、一旦頭の片隅に置いていた数字が「なんだったっけ?」なんてことはしょっちゅうです。

    そんな時は、もう一度繰り返してみればいいだけなんですよ。

    さて、このとき、

  3. 23を10倍して230 → 頭の片隅に一旦置いておく → 23を7倍して161 → 片隅に置いていた230とこの161を足して391
  4. としてもいいわけですが、「どちらが君やりやすい?」って振ってやると、自分の流儀を自分で決めるきっかけにもなります。

    私はAの17を3倍して加える方が、23を7倍して加えるよりも間違えないと思うのでAでやっちゃう平凡な人間ですが…。

もう少し例を挙げておきましょうか!

  • 38×25
  • 38を100倍して3800 → 3800を4で割って950

    具体的な解説で、私たちがよく使う言葉「数字を様々なビューで見る=分節する」に分類されることなのですが、「25は100を4で割った数である」という見方ができれば、25を掛けるということは、一旦100倍して4で割ればいいと考えることができます。

    「分節」の具体例に関しては、下記の「脳細胞を働かせてちょう題」3題を参考にされてください。

    「ひらめき」にも大きく貢献するの脳細胞の回路であることがお分かりいただけるのではないでしょうか?

  • 38×33
  • 38を30倍すると1140 → 38を3倍すると左の結果の10分の1の114 → 1140と114を足して1254

    38を11倍するということは、38の10倍の380とその10分の1の38を足せばいいということですね。

  • 27×49
  • 27を50倍すると1350 → 27を1個分をここから引いて1323

全てを頭の中でする必要もありませんので、途中結果を紙の隅っこに書き留めておいてももちろん構いませんし、ちょっとややこしいと思ったらその方がミスを減らすことになります。

ともかくも、間違えようもないような筆算をドリルで飽き飽きするほど練習するのであれば、上記の解説のような言葉をつぶやきながら2桁程度の暗算の訓練をする方が、よほど力がつきますし、理解・興味・自信にも繋がっていきます。

これがスラスラでき出すと、今度は間違えることが多くなります。
K式をやっている子では特に、チャメチャ早く筆算をするけれどよく計算を間違える子が多いですね。

自分の悪いクセやらうっかりが時々起こるようですが、事務処理能力に自信を持ちすぎて(K式で鍛えたという自負かも?)、機械的一様さの中で見直すべきかどうかの判断が埋没してしまい、結局見直さないというクセがついてしまっているようです。

その意味でも、機械処理的になる筆算は度を超すと反って弊害となる場合があります。
ですから、上記の暗算(つぶやきながら、できるだけ頭の中で計算をする)の鍛錬の方が、見直すべきかどうかの不安点が見えやすいのだと思われます。