「子どもが親に説明する勉強」の真意は、出力する勉強を学ばせる一つの手段であるということです。

こういう書籍があります。

ユダヤ式学習法―わが子の学力がグングン伸びる

ユダヤ式学習法―わが子の学力がグングン伸びる

posted by Teito-vision at 日付(**.**.**)

坂本 七郎
大和出版

おすすめ度:

[評価;1]期待しすぎました
[評価;5]目からウロコ!!
[評価;2]お金儲けですね

1日20分で、子どもの学力を伸ばす方法。学力アップはもちろん、親子関係にも劇的な変化が!ノーベル賞受賞者を輩出したユダヤ人に代々伝わる“最高の勉強法”を初公開。

レビューは総じて大変良いのですが、中には期待外れという声も聞かれます。

そこで、少し気になったレビューを題材に勉強法を少しだけ考えていきたいと思います。

僕は坂本七郎氏とは一度メールで遣り取りさせていただいたことがあるだけですが、そんなことは全く関係なく極めて中立的に書いていきます。

ある意味、読まずとも著者の真意は分かりますし、そのコンセプトは核心を突いていますので、僕自身の評価としては、レビューの総合評価4は妥当な線だと考えています。

仰々しいキャッチフレーズだけで中身はふざけた書籍が氾濫する中で良心的な内容ではあると思います。

但し、「ユダヤ式」という言葉は、特に妥当性のある言葉ではなく、商業的な修辞に過ぎないと最初から冷ややかな目で見ています。

(「ユダヤ式」を冠しておけば、ある程度は売れる見込みが立ちますから、気持ちは分かりますが…)

レビューがよかったので期待したのですが、ダメでした。
子供が先生になり、今日やった授業の内容などを親に説明するという勉強法です。
まだ読んでいる途中ですが、成績がグンと上がるような即効性のある方法とは思えませんでした。
本買ったお金、損した気分です・・・。

子供どもが説明する勉強

「子供が先生になる」ということは、おそらく子どもさんが小学生の間は最も有効な方法論の一つであると思いますよ。
というか、時期的に適しているというだけではなく、勉強することそのものをまさに実行できる方法論の一つだからです。

「成績がグンと上がるような即効性のある方法ではなかった」と書かれているのですが、その言葉の中に、何か特別な方法論を期待されている気持ちが見え隠れして、とても気になったので書いているのですが、成績を上げる本質的な要素は、「子どもが先生になり、・・・」という言葉が意味するところの中にしかないことを気付いていただければと願うばかりです。

ここのところの本質を意外に見逃してしまっておられるのではないでしょうか?
なにも書かれてある通りに、相手が親である必要はなく、親は候補の一つだというに過ぎません。

あるいは、相手を親としても、親が、ただ聞くだけで、質問したり感動したりする働きかけを忘れておられるのではないかと思われます。
そんなことは書いてなかったと言われれば、それまでなのですが…。

次に、「成績がグンと上がる」場合でも、1学期や2学期などそれなりの時間は要します。
1週間や2週間で突然出来るようになるものではありません。

功を急ぐあまりに「子供が先生になる」ということの意義と意味と本質を見逃してしまってはあまりにも残念なことに思えてなりません。

子どもが親に説明している時間は、どんどん嬉しさや面白さや不思議さを与えていく働きかけができる絶好のチャンス。

僕は子育てをする上でも絶好のシチュエーションであり一石二鳥のありがたいことだと思います。

ただ、このときに親が押さえつけるような働きかけしか出来ない場合は、完全に裏目に出ることも忘れてはなりません。

「なんでこんなことも分からないのよ!」などと激しい口調で罵りでもしたら、その子の学ぶ意欲は死に、親子関係も偽りに包まれてしまうかもしれません。

監視するような目で見るのであれば、全く逆効果になります。

だいたい、親が本当に分かっているでしょうか?
子どもに「何故そうなるの?」と聞かれて答えられるでしょうか?

なら、自分も一緒になって考え、自分も分からないのであれば、一緒に考え、一緒に調べていく姿勢や、あるいは問題意識を提示していくことこそが最高の働きかけとなります。
頭ごなしは反発以外の何も生み出しません。

中学生でも有効であるかどうかは、ちょうど激しい反抗期に入っていく時期とも重なりますから親子関係と相まって一概に言えないところがあります。

しかし、どなたかもレビューされていましたが、逆に親子関係を滑らかにするためにこの方法論が潤滑材の役目を果たしてくれることも大いに期待できます。

要は、保護者さんの働きかけ方次第ということになります。

学力が上がるという方法が、ひとつ書いてあります。
なるほど、効果的なのかもしれません。
「でも、それ(一案)だけですか?」というのが正直な感想です。
びっくりしました。

確かに、成績がよくないことの理由は、多種多様な要素が絡み合っています。
ですから、やる気がない子とやる気はあるけど成績が上がらない子とは、するべきアプローチがまったく違って当たり前なのです。

著者の執筆目的やスタンスにもよりますが、一般的には後者の場合を想定して書かれているのが普通でしょうから、著者の立ち位置をあらかじめ判断して購入する姿勢も必要かと考えます。

後者の場合でも、当然、時期により個別的な方法論は変わっていきますが、共通する本質を抽出すれば、ただ「出力せよ」ということだけです。

「子どもが親に説明する」というのは、出力する勉強を学ばせる一つの手段であるということなのです。

そのことを、子どもに分からせるように導いてあげないと、何も働きかけないのと同じことになってしまいます。

その意味で、「それだけですか?」という不満に対しても「それだけですよ」ということになるのかもしれませんね。

ネットに書いてあるような沢山の方法や情報を与えても必ず混乱と迷いを生じさせます。
一般のライターが無責任に書き散らしている情報がほとんどですから、本質とは程遠い記事のオンパレードです。

塾の講師ですら、その名に相応しいのは2割、その他8割方は三流と言われるのですから、ネットの記事なんて四流以下と言うより「無責任」がどれほど跋扈していることでしょうか。

たくさんの情報を伝えるよりも、たった一つの本質を伝えることだけの方がはるかに有効且つ有益です。

沢山の光を当てても電子は飛び出してきません。
たった一つの鋭い光だけが電子を飛び出させるのです。

誰も「たった一つの鋭い光」を一発で射止めることなどできませんから、その意味で、たくさんの光を当てればよいという考えもあながち間違いではありませんが、「たった一つの鋭い光」を模索しての試行錯誤でなければなりません。

また、そこには有害な光にもなり得るものがあるということも、心の奥底で判断基準としてもった働きかけをしなくてはならないのです。

この本を読む必要などサラサラないと思いますが、レビューにある「子どもが親に説明する」という言葉に含まれる本質の中に、「たった一つの鋭い光」を手に入れることができる種があることを考えていただければ幸いです。