記憶力~連想記憶からの実例

記憶力はたかだか手がかり作り

ある日、私は我が家の愛犬が庭の蘭をいつも踏み倒してそこでくつろいでいる姿を見て、「この蘭は何という蘭なのだろうか?」とふと思ったわけです。

今まで何十年とこの蘭を眺めていながら、その存在でさえ無意識で、「そういえば蘭があったなぁ」程度のものでした。

ましてやその名前を知ろうとすら思わなかったのですが、犬が踏み倒すのを見ると不思議に、その名前が気になったのでした。

それでネットで調べてみると「オリヅルラン」という名前であることが分かりました。

※この時に分かったことなのですが、何とラン科の植物ではなかったのです:親が「ラン」と呼んでいたので、てっきりラン科だと思っていたのですが、キジカクシ科だったのでした。

学生時代「生物」だけは極端に嫌いで腹を立ててばかりいた私には青天の霹靂でした。
昔と違って、今の「生物」は面白いでしょうねぇ。

なるほど、折り鶴の羽根のようなイメージだから命名されたんだろうなぁと、その綺麗な名前に感嘆しました。

※正確には、ランナーの先に付いた子株が折り鶴をぶら下げているように見えることに由来するようです。

さて、家族に喋るにしろ外で話題にするにしろ名前を覚えておかなくちゃなりません。
どんなことでも最低限のことはやはり暗記しておかなければなりませんからね。

ともかくも、折り鶴のイメージからの命名だということが意識出来たのですから、これだけで記憶の手がかりにできそうです。

もともと暗記せねばならないようなことは大嫌いな性分ですけど、そんな私でもこのイメージの手がかりさえあれば思い出せるはずです。

まして、「なるほど、オリヅルのイメージかぁ!」と感嘆したのですから、そのこと自体がエピソードとなって強い記憶になってくれる筈です。

エピソードが付随していると不思議に覚えているものです。(エピソード記憶)

ただ、私の場合は歳もシニアの領域に差し掛かりましたので、物覚えも悪くなっているでしょうから、犬が平然と蘭を踏み倒して「わしゃ知らん」と言うかのごとく寝そべってる光景を見ながら、この「知らん」に蘭の名前をかけ、「オリ」に「オレ」をかけて覚えておこうと思い立って、上の画像にあるような文句を考えてみました。(話題作りの魂胆もあったのですが…)

ヅル 踏み倒そうが

単なるオヤジの寒ーいダジャレです。
覚えるべき肝心な「オリヅル」は微妙な語呂といえますが、「オレ(俺)」は訛って「オリ」と言うこともあることで「知らん」との間で「オリヅルラン」が想起されるだろうという関連性を持たせているだけです。

結構「オリヅルラン」を思い出す手がかりとして使えるのではないでしょうか?

しかし、その後のある日、このランの名前は何だったろうか?と思った時に、案の定とっさに出てこなかったんですね。

それで、なんとも悔しい思いで、このダジャレを作ったことを思い出そうとしてもなかなか出てこないんです。

「あぁ、これが歳というものか?」とガックリしていました。

その場は、こんなことで時間を費やしておれないので、自分の仕事をしておりましたが、一段落して休憩しているときに、再度思い出そうとすると、今度は何のためらいもなく「オリヅル」と出てきたんですね。

その時には、そのイメージが似ているものとして「オリヅル」だったじゃないか!といった感じで自然に出てきました。

そうなると、以降はもう二度と忘れることはありませんでしたね。

不思議なことですね。
でも若いころのように日常的にそういう想起を行っていると、すぐに出てくるほどに定着して来るんですね。

あなたにとって有意味な手掛かりで覚える経験を!

思い出すという行為は、実に謎に満ち満ちています!

でも、記憶のメカニズムを理屈抜きで体で感じることで、覚えることのコツが一つ会得できたことになります。

確かに、ダジャレだけでは「オリヅル」を思い出すには弱いことは確かでしょう。

しかし、イメージで膝を打った思い出とダジャレのダブルの手掛かりで記銘したことで、思い出しやすくなっていたことは確かでしょうね。

人間の記憶は、『連想』が基本になっています。(連想記憶)
ですから、何かを覚える時にはその対象の手掛かりになるものをマーキングして覚えておけば、忘れたときも、その手掛かりから探し出すことができます。

しかも、当の本人にとって有意味な手掛かり・有効な手掛かりを沢山残しておく方が思い出しやすいということになります。

そして、それは必ずどこかに転がっているはずですから、今覚えにくいことの何か一つを対象にして、一度チャレンジされてみてください。

もう一つ付け加えれば、あなたの知識や実経験が豊富であればあるほど、手がかりは見つけやすくなるということが言えそうですね。

意味のない即物的な情報に受け身だけでおぼれているだけでは、手がかりは一つとして増えることはありません。

この点において、巷に溢れる『・・・記憶術』なるものは、本人にとって何の関係もなく統一性もない無機質な手掛かりを無理やり作るものであって、真っ直ぐに、あるいは関連付けて進めばたどり着くものを、仰々しい鍛錬までして遠回りしてたどり着くテクニックを教えるものだと言えるでしょう。

ですから、テクニック自体を売り物にする下衆な商売人になるしか日の当たる道はないのですね。

以降は、会員のみ閲覧いただけます m(__)m。

上記のエピソードは、単に記事程度のことだけでなく、「ビジョン」にて記した以下のような多くの暗黙知をうまく利用した記憶法だと言えますね。

記憶しやすくするための連想記憶の方法論のまとめと単なる車のNoの覚え方の実例をも軽くご紹介しておきますので、この際に気軽に整理しておいてください。

締めくくりの予告

汗を流して工夫しない人間は、どんな仕事をしたってロボット以下ですから、そのうちマジでロボットに職を奪われますよ。

その程度の人型ロボット(私は認めていませんが、開発に躍起の企業や輩多し)なら私でもプロ・マネor開発リーダできますが…。


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