本居宣長

本居宣長の名前を聞いたことのない人などはおそらく居ないと思うのですが、それとて何とも心もとない時代かもしれませんね。

この『黄金の言葉』なるカテゴリーは、文字通り亀井勝一郎氏の『黄金の言葉』からヒントを得て、そのままのタイトルで学校を受験する人だけではなく、広く『学ぶ』ということに悩める方のために有益な示唆を贈りたいという気持ちで開始したコーナーです。

何事に関しても情報が多ければよいというものではありません。
情報の多さは反って惑いを生じさせます。

たいていは、何がしかのたった一言をきっかけとして、自分でそのきっかけを成果に結びつけるという流れが、たとえ結果としては一流になれずとも、一生懸命何かを追求しよう、生み出そうとした人たちの共通項ではないかと思えます。

さすがに僕も本居宣長の著書はもちろん解説書をも読んだことがありません。
恥ずかしい話ですが、「理系の人間がそこまで読めるか!」という言い訳が出てきてしまいます。

「そうだ!そうだ!」と共感をいただいたとしても、このような言い訳が出てきてしまうのは、やはり僕が時間を無駄に生きてきた証拠であることに変わりはないことは自覚しているつもりです。

さて、受験生の皆さん、あるいは高校生の皆さん。あるいは、社会人の皆さんでも結構です。
ここまで読んで、江戸時代の国学者である本居宣長について、学校で習ったはずの人物であるから、今調べ直して頭に留めおこうと、不要のちらしでも持ってきて、その裏にでも殴り書きしようなどと思われた方は居られるでしょうか?

もし居られたら、あなたはもう何も心配することのない方です。
何故、こんなページを見ているのかさえ不思議なレベルの御仁です。

もし、あなたが大学受験生で日本史を採られているなら、この機会をもって本居宣長に関する知識を鮮烈に記憶に留めることになるでしょうね。

「未だ軌道に乗らず」と嘆く人の帰るべきところ

実は、今からご紹介する本居宣長の言葉は、本記事を書くきっかけとなった亀井勝一郎氏の黄金の言葉―思索する心のためにに引用されていた言葉です。
亀井氏も書かれているように実に示唆深い言葉です。

特に、勉強を軌道に乗せてしまった人よりも、「未だ軌道に乗らず」と嘆く人には示唆深い指針を与えてくれるでしょう。

とは言っても、例えば下記の部分を読めば、あなたも「なーんだ当たり前のことじゃん」と思われるでしょうし、中には敵意を持って「本居宣長なんて当たり前のことしか言ってないじゃん」と吹聴される方も必ず居られます。

初心のほどは、かたはしより文義を解せんとすべからず。
まだ大抵にさらさらと見て、他の書にうつり、かれやこれやと読ては、又さきにみたる書へ立ちかへりつつ、幾遍もよむうちには、始めに聞えざりし事しも、そろそろと聞ゆるようになりゆくもの也

本居宣長 『うひ山踏』

『うひ山踏』は、弟子たちへの学問への入門書であり読書論と言える内容だそうです。
今で言う『勉強法』に通じることが説かれた書物ですね。

訳すというほどのものではありませんから、原文のままでそのまま意味をご理解いただけるものと思いますが如何でしょうか?

僕は、『黄金の鍵』の記事でも散りばめていますように、徹底して理解することを重視しています。
この言葉は、これをしようと試みる中で、誰もが直面する問題として出てくる悩みを解決してくれます。

亀井氏の言葉を借りると、「難解なところは、さしあたってそのままにしておいて、ただよく分かるところに心を込めて、深く味わった方がいい

さすがに亀井氏ですね。
いや、さすがに本居宣長であり、彼の意を正確に伝えてくれる亀井氏というのが正確な表現だと思います。
僕が、つい見逃したり言い忘れるところをきっちりと漏らしてはいない言葉となっています。

僕の場合、初歩の段階で悩むことはありませんでしたが、とにかく徹底的に自力で解くことにこだわりましたから、どうしても解けずに時間の浪費ではないかとイライラするときが幾度となくありました。

そんなときには、いくつか道があります。

  • しばしの休息を挟みながらも、そのまま解けるまで粘り強く解き続ける
  • ギブアップして解答を見ながら理解する道を選ぶ
  • いったん中断して、ほかの事を挟んだ後で(日が変わっても構わない)再度トライする

このどれを選べばよいのか?
それは、現状の君のレベルや性格や力によって変わってくるでしょうし、そのレベルや性格や力から見て、どの道が君にとってベストなのかは君と君を間近に指導している方にしか判断はできないでしょう。

でも、私の指導経験からも、大概の場合は本居宣長の言葉通り、いったんクッションを置いて再度トライしてみるという道が賢明であろうということが言えます。

但し、クッションを置くのはいいのですが、そのまま放置してしまっては何の意味もなしません。
しかるに現実は、多くの人が放置したままで終わってしまうというところに問題が移ってしまいます。

良い示唆を得ても、「当たり前のことじゃん」と嘯く人に限って、ワンクッションを置くという提案は永久的なクッションとして忘却されてしまうのは、妙に自信満々の御仁に限って試験に落ちてくるという経験と対をなすかのように何とも皮肉で面白い現象です。

宣長さんが、勉強の仕方よりも勉強を継続することの方が重要だと説いたのは、やはり人は継続することをすぐに怠ってしまうことへの強い戒めの思いがあったのではないかと想像されます。

いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば功なし。
又、人々の才と不才とありて其功いたく異なれども、才不才は生まれつきたることなれば、力に及びがたし。
されど大抵は、不才なる人といえども、おこたらずつとめだにすれば、それぞれの功はあるもの也

同じく、本居宣長『うひ山踏』

よく、商業勉強法で、「頭の悪い子などは居ない」などとキャッチフレーズを書いているものも見かけられます。

それなら、運動神経の鈍い子は居ないとでも言うのでしょうか?

それだけで、いい加減で無責任な表現だと僕は常々書いているのですけれども、そう書けば売れるのでしょうから、購入されようとする方に地道に訴えていくしかありません。

才不才は生まれつきあることは当たり前のことですね。
同じように、性格の良否も生まれつきにあることが当たり前のことです。

しかし、人間性の良否をもこの括りに入れると、途端に差別だ人権無視だとクレームをつける人も必ず居られます。
そのくせ、スポーツや音楽・芸術分野であれば、天分だからしようがないなどと仰ったりします。

無理をする必要は無いけれども、分かっているところを本当に分かっているだろうかと懐疑し、かみ締め、分からぬところは時を別にして再度考えることを怠らなければ、生まれつきの才能以上の成果を手に入れることが出来る。

これが、本居宣長の結論であると言えるでしょう。
そして、その教えは現代も変わることはありません。

スポーツも勉強も基本は同じ

2018年3月追記

平昌冬期オリンピックも閉幕し、羽生選手の2連覇や女子のスピードスケートと女子カーリングが一躍脚光を浴びています。

つくづく思うのは、彼等もスポーツという分野において「本当に分かっているだろうかと懐疑し、かみ締め、分からぬところは時を別にして再度考える」ことを継続して来たのだなぁという尊敬の念です。

そして、それはフィギアで18位に終わった田中刑事選手も、その他の競技で下位に沈んだ選手も同じように研鑽を継続して来たということであって、それこそがご本人の人生にとって最も尊い財産となり再びエネルギー源として利用されていくということを見逃してはいけないのだと思います。

たとえ、結果的に才能が一流の人に及ばなかったとしても、追求し続けることが自分の人生です。

決まりきった競技だけで争い、明瞭に順位が決まってしまうスポーツの世界ですら、常に向上することを追及しているのですから、裾野が広く沢山の二流が支え合う一般社会で向上しようと頑張ることほど簡単なことは他にはないと思うのですが、如何でしょうか?

とかくこの世は学びにくい | 成績を上げるために必須なこと

最後に、とある臨床医さんの言と学部は違いますが我が後輩(京大情報工学OB)が教育関係の論議で発言した言を併せてご紹介しておきましょう。

ところが、それら原因をいちいち正確に調べもせずに、バカのひとつ覚えのように、どこの※※※科医も、「※生検!※生検!※生検!」と、患者さんに頭ごなしにゴリ押しするのです。

いくら教科書や※※※学会で教わったことがないからと言って、臨床経験を積めば、おかしい?と思う筈です。

文献的な情報の受け売りばかりだけで、自分達の頭を使って考えることがなくなっているのが現状です。


たかが盲腸の診断すらできなくなっている医者が蔓延る世の中で、10人専門家がいれば8人はやぶだといっていいでしょう。
まして、ネット情報に至っては9人はやぶでしょう。

それぞれの周囲を見渡せば本当のプロといえる人はごく一握りだと誰もが知っているはずです。

その中で生活上の問題を切り抜けていくには、俗流社会学や俗流心理学・俗流分子生物学・俗流脳科学・俗流AIなんぞをこねくり回して遊ぶのでなく、知識、感性を自分の責任で磨いて対応するしかないですよね。

世間的には、お賢い人がなれると思われている医学の世界ですら、当事者や見る人が見れば、現実はこんなものです。

あなたの最寄りで、真に信頼できるお医者さんを探せれば、それは非常に幸運なことですが、まぁ十中八九、紋切り型の決まり文句で対処されるケースがほとんどですね。

「やぶでも係っているいることへの安心感」が大きいですから、多くの場合は特に問題はありません。

それ自体は何の落ち度もないように見えますが、ことと場合によっては大いに患者を不利益に導いてしまうケースは確実に生じますし、これを経験された方も多いのではないでしょうか?

ましてや、生命には関わらない教育の世界では、指導者がやぶである確率など、さらに高いことは目に見えています。

お子さんの成績が上がるための条件は、そもそも真面目にやる気持ちがない場合を除いては、

  • あなた(お子さん)が、適切で効率的な勉強の仕方の流儀を我がものとする
  • あなた(お子さん)が、それぞれの教科の実際の学習内容に関して、自分を心底より納得させる術を会得する

という2点を、自力あるいは第三者のサポートを得て確立するということ以外にはあり得ません。

ところが、そんなところは突いてくれないのが現実社会です。
準備された模範解答を恭しくご教示して、「俺のようになれるだろ?」というスタンスが大多数です。

準備出来ない環境で教えろと言われたら、どれだけの指導者が慌てふためくことでしょうか?

こういう状況では、8割方はいつまでたってもお子さんの学力など伸びるはずはありません。

どんな問題でも、ことによっては、他人をあてにすることほど実の無いことはないのは確かですから、「やぶでも安心できればそれでいい」という場合を除けば、自分の流儀を曲がりなりにも自力で確立すべく努めることを優先されるべきでしょう。

自分の軸さえ持てれば、たとえ環境に恵まれなかったとしても、浮草のようにフラフラと漂うことだけはありません。

11月1日より完成度極致のVer.2020へ!

発刊10周年記念 / お申し込みはこちら

  • 受付時間:24時間年中無休

「帝都大学へのビジョン」は「バイブル」と頼られて10年。

頭の中にサラサラと流れる川を自力で作るために!

京都大学工学部OB2名と大阪大学大学院工学科OBの3名、しかも全員物理系ハードエンジニア出身(教師転身2名)で執筆していますから、商売人や学生上がりのような、実社会で何もできなかった無責任で底の浅い騙し専門の著者とは良心も実用性もレベルが違います。

ある意味、反抗期に入るまでに保護者が認識しているかどうかが、子どもの未来を決める分水嶺です。
中学に入ってからは、保護者は基本的になす術を持ち得ません。

発刊10周年記念 / お申し込みはこちら