国立大学が国語を中心に記述式問題を強化する方向へ

ちくま評論入門 (高校生のための現代思想ベーシック) 高校生のための現代思想ベーシック ちくま評論入門 改訂版

国立大学が2020年の入試から国語を中心に記述式問題を課す方針を決めましたね。

きっと君は「国語って勉強して何の役に立つの?」と思っているのかもしれません。

そのように呟いている諸君は、やはり同じように

  • 「歴史って勉強して何の役に立つの?」
  • 「数学って勉強して何の役に立つの?」
  • 「物理って勉強して何の役に立つの?」

と誰にでも共感を求めるように今でも呟いているのではないでしょうか?

「そやそや、何の役にも立たんよなぁ!」と反応してくれる友達に囲まれて、僕たちの考えこそ真っ当な主張なんだと自信を深めていることでしょう。

そういったところに「記述式問題を課す」なんて嫌なニュースに感じたかもしれませんね。

そこで、とりあえず記述式に対応できるようにテクニックを習得しようなどと考えたかもしれません。

しかし、そんな「大学に合格しさえすればいい」的な浅はかで虫のよい考えでは、本当の言語能力や表現力は身に着くはずはありません。

言語は単なる技術ではなく精神の発露そのもの

言語は単なる技術ではなく、人間の生活における様々なシーンで紡がれる精神の発露そのものですから、その紡ぎ方の彩や綾を深く洞察し、全身全霊で感じ、思考しながら言語化する努力を持続的に積み重ねて初めて磨かれていくものだと言えるでしょう。

さて、ここからは国語を学ぶ意義や目的など国語論を展開するような七面倒くさいことはしないで、ただ単に所感的にツラツラと書きなぐってみたいと思います。

漢字が書けなくても読めなくても問題ないと思っている諸君やその方が偉いなどと思っている諸君はほとんど居ないでしょうし、将来、会社の書類を読んで意味が分からなくてもいいやと思っている諸君もほとんど居ないでしょう。

そういう意味では、問題によくある「・・・を漢字で書きなさい」とか「傍線部は何を指すか?」などといった問題ぐらいにはその意味もあることを否定はしないでしょう。

問題の質にも依るとはいえ、こういった訓練や経験にすら意味を見出してもらえないとなると、全ての勉強を放棄することに繋がってきます。

その結果、全ての勉強が嫌になり、結果「何の役に立つの?」という否定的な疑問で出来ない自分を正当化することになります。

「国語が出来ないから数学が出来ないんや」などということがよく言われます。
一面的ではありますが、主たる要素であることは否めません。

考える力の源泉は『言語』であることは全ての勉強に共通するからです。

『英語の構文150』で有名な英語学者の故高梨健吉先生が、「英語は好きだが国語はきらいだという態度は、諸君の英語力そのものの進歩をとめるであろう。」と語られたことにも、この意味の深さが伺われます。

このページは少なくとも大学を受験するつもりの諸君が閲覧してくれていると考えて、とりあえず「現代文」だけに絞って、次の言葉だけを贈っておきましょう。

現代文を学習するということは、君の思考力と教養そのものを育てる手段なのだということを…。

教科書や参考書、大学入試問題を見れば明確ですが、君が学習する文章のテーマは実に様々ですね。

社会現象の分析であったり、世界各地の風土・文化であったり、人生を考える思考や美学であったり、言語論であったり、文学作品への批評であったり、科学の世界の解説であったり・・・。

まさに、内容自体が教養の宝庫であると言えるでしょう。

もちろん、その前に国語を学習する目的の中核は、これを「理解する力=読み解く力」にあることは、「傍線部は何を意味するのか?」「著者は何を言いたいのか?」という設問を見ても明らかですね。

これも提示された問題文の中にその答えやヒントが隠されているわけですが、「理解する力=読み解く力」が養われていれば論理的に処理できる筈です。

さらに、そのテーマにある背景に対する知識の有無や質量で決定的に解答の質が違ってきます。

私も要望がある時は国語(現代文)も指導しましたが、解答を出すにあたっても、総じて大雑把なのか、丁寧さが足りないのか、考えが浅いのか、画竜点睛を欠いたアウトプットあるいは仏作って魂入れずの解答が好きだなぁという印象がありました。

まぁ、私も高校生の時はこんなものだったんだろうなぁという事実は棚上げにしているのですが…。

どうも、短文では理解できても、少し長文になると荒っぽい答えにしか辿り着けないのは、文脈や文章構造を通して読み解く訓練があまりできていないからだと思われます。

もちろん、堅い本を数多く読むことがその能力を上げてくれることは間違いがありませんが、むやみに漫然と多読するよりも、一つの文章の要部ブロックを丁寧に取り扱って、処理をするプロセスや工夫の経験を積み重ねることで、読解力だけでなく表現力も養われていくのではないでしょうか?

乱読には乱読の役目があり、精読には精読の役目があります。
今、君に必要なことは、丁寧に問題を処理していこうという姿勢ではないかと思います。

そういった意味で、標題の『ちくま評論入門 (高校生のための現代思想ベーシック) 』『教養としての大学受験国語』を素材に取り組まれてみるのは大いに有益ではないかと考えます。

後者は、Amazon レビューの評価も非常にいいのですが、一部に批判的な評価もあります。

確かに、後者は受験生に向けたものか教養を身につけたい人に向けたものかの立ち位置が中途半端と思われますし、解説も少し荒っぽくて冗長なところが気になりましたが、それは多分大人の目で見るからでしょう。

完璧な知識や教養や思考にまだまだ道半ばの高校生にとっては、一つの文章から自分の精神の目を養っていく成長のスタート地点になるであろうという意味では有益なものではないかと思います。

ただ、読み比べてみるとお分かりいただけると思いますが、前者の書は日本語を構造や文脈から読み解くためのポイントが非常に分かりやすく丁寧に解説されていてしかも無駄がありません。

と同時に、チョイスされた文章がどれも珠玉の作品であり、教養を身に付ける意味でも非常に有用な書であると感じました。

本を全く読まないという君なら、なおさら、たかだか一つのブロックを素材にした入試問題を一つづつ読み解いて、丁寧に問題を処理できる訓練をされて欲しいと願います。

その訓練を粘り強く続けることが他ならぬ言語能力であり、即ち君の意識・知力の権化、もっと言えば人格の権化だと言っても過言ではないと思います。

精神の汗をかく | 論理力・読解力・表現力の前進のために

もう20年余り前ですが、FAX塾を企画して集まった生徒を指導した際に初めて分かったことがあります。

それまでは、学生時代に塾の講師や家庭教師をしていましたが、その時にはあまり感じることがなかったことです。

何故なら、対面で付きながらの指導だけでは見えないことだったからです。

それは、答案用紙を見ただけで、その生徒の思考過程、もっと言えば、汗の掻き具合がある程度見えるということです。

指導は数学がメインでしたが、結局は塾のように通ってくるようになってからは、他教科でも同じことが言えることが分かりました。

数学は数式だけですが、それでもその子の論理に関する脳細胞の動きは見えてきます。

しかし、国語の場合にはそれ以上に、論理に加え感性をも含めた一人の主体ある人間としての精神の汗の掻き具合が鮮明に見えてきます。

そういう経験をしていますから、今、高校で国語教師をしている娘に相談を受けて、ザっと目を通した200余りのテスト答案に、汗をかいた跡が見える答案すら、大いにおまけしても片手もないということに驚愕としてしまいました。

偏差値で3/10程度に位置する高校の普通科クラスですが、粗雑というより、「何をどのように読んでいるのかな?」と思ってしまう以上に、のんべんだらりと投げやり調や中にはおふざけ調で書かれたもの(昔は頭の良い生徒が反抗の意味でわざとすることはありましたが)が大多数を占めます。

精神の汗水を流して書かれた答案の中には、数学にしろ国語にしろ、それなりの手応えというか、骨というものがはっきりと汲み取れるものです。

汗を流して人のために働く人が発散する誠実さ、鋭さ、たくましさ、のようなものは、たとえペーパーテストの紙面であっても、その片鱗ははっきりと読み取れるものです。

そして、その片鱗こそ君が成長した内実そのものなのですよ。

単なる義務感や奴隷のような従順さで、受験体制に歩調を合わせているだけでしたら、いたずらに馬齢を踏むだけであり、そういった姿勢では、読解力にしろ百万遍くり返しても回を重ねるだけで何らの進歩向上は望めません。

「文は人なり」で、数学の答案だけでは見えない、人間としての基本的な姿勢は、国語の答案によって晒されると言っても過言ではないでしょう。

問題は、人間としての精神の根底に伏流する地下水の如き能力を、諸君の内部に埋もれ眠っている思考力や創造性の可能性を、如何に引き出し、その働きを無自覚の領域から自覚的な領域に移していくか、ということです。

このような作業を精神の中で進めていくとき、正確には、決意したとき、人は急速に成長します。

そして、自覚的な領域が習慣化されたとき、目に見える形で大きく1歩前進することになります。

ダラダラとした日常から漸次成長するなどということは考えにくく、本当に成長するとすれば、それは量子飛躍的なものです。

諸君が、国語における読解、表現について自信を持ち始めるのは、このような自らの内部にある精神の可能性を思いがけず何かの拍子にふと発見して、自分でも清々しい爽快感を覚えたり、目の前が何か開けた感じがしたときでありましょう。

「帝都大学へのビジョン」は、そういった意味で「何かの拍子にふと発見した儲けもの」を意図しています。

仕方がないからという義務感、言われた通りに操作する奴隷の如き従順さ、丸暗記すれば勝ちといった非合理な禁欲主義、これらを一擲して、諸君の地下水を無我夢中の努力の中で汲み出してください。

どの教科でも、たくさんの問題をそこそこにこなすだけに終始するのではなく、あくまでも1つ1つに自己の心血を注ぐ魂を持たない限り、自分でも自信となる成長は望めません。

以上のことを静かに考えていただくと、勉強する意味というのも自ずと分かっていただけるのではないでしょうか?

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京都大学工学部OB2名と大阪大学大学院工学科OBの3名、しかも全員ハードエンジニア出身(教師転身2名)で執筆していますから、商売人や学生上がりのような根拠のない、いい加減な甘言は書いていません。

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