ケインズの研究で著名な経済学者の伊東光晴先生が、おそらく中学生を主な対象として社会の仕組みを通して養ってほしい力を説かれた著作です。
先にご紹介した『君たちはどう生きるか』とは書かれた時代もテーマもかなり違いますが、ともに名著であることは共通していると断言しても過言ではありません。
吉野源三郎先生では、「考え・感じる」ことで社会生活を送る上での心のあり方の軸を作る肥しになってくれるのに比して、伊東先生では、現代の社会の仕組みのお話から、社会をより正しく見る目を養うためのヒントを得ることになるでしょう。
違った側面からの道標ですが、両方共がこれからの難しい時代を生きる君たちには生きる力の必須の要素であると私は確信しています。
本書も、専門用語などの難しい言葉はほとんど使われずに、実に平易な言葉で世の中の仕組みを経済学を通して切ってくれます。
これを読まれた後、君は世の中が如何に他愛のないこと、ちょっと恥ずかしいようなことで成り立っているのかということに驚くかもしれませんし、そういった意味でなくとも非常に面白いお話がいっぱい詰まっていて、良き友達となら会話をはずませてくれるネタとしても大いに価値があると思います。
こういった内容を話題にできる友達を作ることが大切ですが、それも君自身に面白いと思う心が芽生えれば自然にそのような友は出来ていくものです。
固い内容も、このように語ってもらえると実に興味深いものに思えてくるでしょうし、ひょっとして、難しそうな討論をしている評論家や専門家なんてのも大したことしてないじゃないかと分かることもできるかもしれません。
2015年、某広告会社に入社して1年目にして自殺してしまった高橋まつりさんも、この本を読まれて、社会の仕組みの滑稽さを茶化すぐらいの気持ちで社会に臨んでおられれば、自殺するような哀しい選択をすることもなかっただろうにという気がします。
社会の仕組みを過度に美化し、崇拝することは、ほとんど得策ではありません。
あのような上司に当たったとしても、「可哀想な人だ」と思う思いさえ封じ込まれてしまうのですから…。
自然科学の話は専門をかなり勉強しないと難しいですが、世の中の仕組みや社会のことであれば、君自身が感じ、何となく思いついたアイデアの方が、稚拙に見えても実は真実に近いのではないかと自信すら持ってもらえるかもしれません。
過去に経験した食糧問題やエネルギー枯渇問題の経験から、その背景にあるものを踏まえた上で「おどろくな、あわてるな」と諭されることに始まり、ノーベルとフランクリンの相違から見えるお金の世界の風景を解説してくれるなど、いろいろな話題が細かく散りばめられてとても面白く読める本に仕上がっています。
ノーベルのお話は大人ならたいていの人は知っていると思うのですが、ノーベル賞などは確かに財力がないと出来ない催事とはいえ、ノーベル平和賞など口八丁手八丁で取ることもできる部門が創設され、しかも非常に浮薄なものとなり地に堕ちてしまっている様は、財力に走ったノーベルの本性を見るような気がすることもしばしばです。
一方、今となってはその内容すら忘れているのですが、私なんぞは小学生の時に『フランクリン自伝』を読んでましたのに、フランクリンがこれほど尊敬すべき人だったとはこの本を読むまで改めて意識することさえありませんでした。
対比されることによってより鮮明な印象になる効果は否めませんが、それにしても情けない話ですが、小学生で読むってことはその程度で終わってるんだなぁということが思い知らされる反面、彼の『共同体意識』という精神が、この時に知らず知らずに微量ながら血として流され始めたのかもしれないという思いもあります。
ともかくも、伊東先生の「何が真実であるのか?数字や統計に騙されてはいないか?許されない嘘に騙されてはいないか?」をしっかり見極める訓練をし、情報に翻弄されないようにしてほしいという願いには真剣に耳を傾けていただきたいと思うのです。
特に、ど素人でもおバカタレントでも、さもそれらしき講釈を自由に垂れ流せるしたい放題の自由にまみれた情報過多時代においては、ここを誤ると、何も自分とは関係のない高尚な世界の話ではなく、ささやかな自分の生活を危うくしてしまうことになるかもしれないことを考えていただければと思います。
一つだけ具体的な内容に立ち入っておきましょうか。
本書には、質の良いエネルギーと質の悪いエネルギーのお話が出てきます。
あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、エネルギー問題や地球温暖化を語る時には避けては通れない問題であり、それにもかかわらず非常に難しいテーマなんですね。
物理の世界では低エントロピー・高エントロピー資源として区分けされるわけですが、この『エントロピー』という概念が相当難しい!
私も大学に入って統計熱力学の講義でエンタルピーとともに始めて習った概念ですが、全く理解できませんでした。
正直、今でも本当に理解できていると言えるほどの自信はありません。
ただ、社会に出ても、研究職でない限り業務でこの言葉を使う業界などはほとんどないとは思いますので、知らなくても何の問題もありませんが、これからの世界にとっては重要なキーワードとなる予感はしています。
巷では、【エントロピー=乱雑さ・無秩序さ】などという解説がほとんどといっていいほど一般的なのですが、そのような解説で君がもし「分かった!」と膝を叩くのであれば、私は尊敬しちゃいますよ。
『エントロピー』という概念は、もともと理想的な熱機関であるカルノーサイクルを説明する概念としてドイツの物理学者クラウジウスによって導入された概念で、その結果の究極として『熱力学の第二法則』の一つの表現として使われている言葉です。
はたして、その式を見てみますと、「熱は高い方から低い方に流れ、その逆はあり得ない」ということを単に表現したものに過ぎないということが分かってきます。(絶対温度で割るというところが味噌)
(式を単に式として見ているだけでは、このことすら分かりません。)
即ち、形式化して一言で言ってしまいますと、可逆過程か不可逆性過程なのかの指標となる物理的状態量ということができます。(理解できなくても当然のことですから軽く読み流してください)
その理解を原点として、
- エネルギーが変換された時には具体的にどういうこととして理解すればよいのだろうか?
- 熱エネルギーを機械エネルギーを経て電気エネルギーに変換する時、必ず捨てなければならない熱があることとの関連性は?
- エネルギーの質としての高エントロピーと低エントロピーなる言葉との対応は?
といったようなテーマを一つ一つ地道に解きほぐしていかなければ理解できるものではありません。
この辺りを説明するとなると一朝一夕には参りませんので割愛させていただきますが、もしご参考にされるとすれば、EMANさんの復習に付き合う形でEMANの物理学:熱力学を最初から順に読まれて、ともに悩んでいただくことをお奨めします。
巷に出ている情報エントロピー的な解説書の「無秩序さ」とか「乱雑さ」とか「場合の数」といった説明から読まれても、なかなか真に理解することはできないと思います。
こういった概念を理解することにはノウハウもクソもないように、そもそも勉強というものは正しい作法に沿って地道に作業を積み重ねることしかないことも、ここで重ねて申し上げておきたいと思います。
大学に入学されたら、文系の方も、ここだけはしっかりと物理の視座からしっかりと勉強されるとエネルギー問題や地球温暖化を本質から捉えることができるようになると思います。
さらに、この『エントロピー』の概念は、君たちの生きる時代の死活問題に直結する核心の問題になって来ると私は捉えています。
誰が悪いとかそんな些細なことで争ってはいられないほどの、我が身の明日の生に関わる文明の根源的な問題になる可能性さえ否定できないのではないでしょうか?
『エントロピー』の概念は、これからの地球にとって避けては通れないであろうものとして少し紹介してみました。
伊東先生は原子力発電の最大の問題として廃棄物の処理ができないことを挙げておられます。
当然、これはあってはならないレベルの基本欠陥であるわけですが、それとともに、次のことを考えないわけにはいきません。
核分裂反応によって発熱した約2000℃の炉内温度から蒸気タービンを回すために、いろんな制約の為にたった約280℃の温度にまで下げて取り出すことしかできません。
この温度差(火力発電はもっと小さい)は排熱(エントロピーの増加分)となって環境に捨てられるわけですが、ほとんどを大気放出する火力発電と違って放射性物質に汚染された冷却水の海洋放出という形で行われます。
これが地球温暖化を大いに進めているかどうかは定かではありませんし、そう断定するような知見も持ち合わせていませんが、少なくとも真実と真摯に向き合いたいという気持ちさえあれば、そしてそのために学ぼうという姿勢さえあれば、原子力発電はCO2を発生させないから地球温暖化対策に貢献しているなどという方便には騙されないで済むであろう一例として記しました。
このページはエントロピーや原発のことをお話するページではありませんので、ここまでにしておきますが、伊東先生が言われる「何が真実であるのか?数字や統計に騙されてはいないか?許されない嘘に騙されてはいないか?」をしっかり見極める訓練をしなければならない一つの例として心に刻んで頂ければと思うばかりです。
私の我が儘でエントロピーや原発の話を少し挿入してしまいましたが、最後に伊東先生の『君たちの生きる社会』から目次や興味深い話題を少し抜粋してご紹介しておきたいと思います。
流石に幅広い経験や知見に基づいた話題が満載で、知ることだけでも一種の感動を覚えるのではないでしょうか?
- 許されるうそ・・・必要のないものを買わせるためのうそは何故増幅するのか?
- 5%の人で育つ日本の経済・・・消費者が賢明であれば会社などは反映しない?
- ところ変われば”友情”の中身もかわる・・・自分の国の通念は独りよがかも?
- 契約書の社会と誓約書の社会・・・どちらが得?日本の特殊性は吉と出るか凶と出るか?
- 日本の企業社会・・・仲良しクラブと二重構造、君は住みやすいのか?
- 鉄は木よりも弱い?・・・宮大工の匠と近代建築家の対決や如何に?
- 一生モノを作る職人の技能・・・イギリスの毛織物、イタリアの靴は何故優れているのか?
- 桃太郎主義・・・鬼ヶ島の鬼たちは憎き相手なのか?
- 自分たちでまもる村とお金をとって来る村・・・岩手県沢内村のある村長さんの選択とは?
最終章で語られる『技能に生きる世界』での鉄と木の話は、私たちが勉強法を一言で語る際によくメタファとして用いる『和ろうそく』の製造プロセスと同じことを伝えておられると感じました。
なにごとも真の強さは、層を重ねる手間と努力とそして叡智によって生まれる
ということなのではないでしょうか?