刺繍ギャラリー
2011年、桜花満開の日に逝った母が若き頃に制作した刺繍作品のギャラリーです。
プレゼントとしても多くの人に配っていたように記憶していますから、残っている作品も少なくなりましたが、順次、追加でアップしてまいります。
ベルマン・ド・ボーテのお客様には、デジタルスクラップブッキングのクイックページとしてご提供しようかと考えております。
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※勝手に画像を盗む輩も多いですので文字を入れております。m(__)m
本当の美しさや品は、やっぱり実物見ないと伝わりませんけれど・・・。
■インテリアシリーズ
■風景シリーズ
■童シリーズ
■プリティシリーズ
■お花シリーズ
「愛情」とは、「手間」だと思うんですね。
この1年半、食事を作る気力のスイッチが切れた母のために、食事を作る中で、
僕がつくづく感じたことです。
「何故、嫁さんが作らないのか?」と思われた方も居られるかもしれませんね。
僕たちの夫婦の暗黙の了解は、自分の親の世話は自分がするということなんです。
もちろん、お互いにサポートはし合いますよ。
ある程度年齢を重ねたからこそという部分があるかもしれませんが、僕はもともとそれが当たり前と考えていました。
ただ、技術者を引退して自由業へシフトしたからこそ出来得たことなのかもしれません。
僕の母は、昔から、「男のあなたがそんなこと出来る筈がない」と言い切って怒っていましたが、僕は、約束どおり、看病・介護を僕の手で全うすることが出来ました。
母は、昔の人とは言え、野菜は自ら無農薬で作り、料理はほとんど出来合いのものを出すことはなく、質素ですが全て手作りで作るのが当たり前の人でした。
時代が変わろうと、本当に作ることが辛くなったのであろう晩年の数年までは、自分一人のための食事でも、決してその姿勢は変わりませんでした。
趣味と楽しみのための刺繍(手芸)であったのですが、その手間の織りなす空間が、知らぬ間に家庭の雰囲気を作っていたのではないかと思います。
昔は、靴下やズボンが破れたら、当て布で繕い物をして履くのが当たり前でした。
どこの家庭でも、その手間が、知らず知らずに子どもたちの心を育てていたのではないかと思いますね。
もし、あなたが誰かに愛情を注ぎたいと思われるなら、決して高価なものを与えるのではなく、この「手間」を贈ってあげることなのではないでしょうか?
- 夫のために、持ち物にちょっと刺繍でイニシャルを入れてあげる
- 子どものために、刺繍入りの手作りセーターを編んであげる
- 孫の笑顔を思い浮かべながら、「立派になれよ!」と願いを込めて、手作りの刺繍を贈る
そんなささやかな心配りが、家庭を明るくし、子どもを健やかに育てると僕は思います。
「手間」を無意識のうちに示さないと、何でも楽してやろうという方向に流れますから、そうではない現実から簡単に逃避しちゃう気質が身に付いちゃうと言えなくもないでしょうね。
手先の仕事は、ボケ防止には最適なようですから、歳を取れば、そんな意味も含めて、男だって刺繍に取り組んでみるのもいいですね。
そう考えれば、生きている間、やりたいことは山ほど出てくるはずですよね。
男だって、「何をやればいいのか分からない」だの「孤舟」だなどと言っているようでは淋しい限りですね。
-満中陰の日 2011年5月26日-
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