AI(人工知能)のお祭り騒ぎ

スタディサプリは有効か?

昨今、車で街中を走っていますと、学習塾に「AI学習」などと書かれた看板をよく目にするようになりました。

今や、学習塾に限らず、あらゆる業種において「AI」「AI」と連呼されて耳たこの状況ですから、ここまでになると逆に、「AI」が至って軽々しいものとして映ってしまうのですが、あなたは如何でしょうか?

「AI」自体は研究対象とするには非常に有益性を期待されるものですが、まだまだひよっ子。
なのに、何故こんなひよっ子までを未完のままで利用したがる軽薄な世の中になってしまったのかという思いだけが先行してしまいます。

何でもかんでもに「AI」を標榜されると、「AI」自体の新規性や信頼性に影が差してくるのは、他のキーワードの運命と同じと言えます。

もちろん、一つの製品やサービスのライフサイクルの初期が辿る傾向であることは分かるのですが、初期不良要因をある程度払拭してから世に出すという考え方自体の敷居が非常に低くなって来ていることに危惧を感じてしまいます。

ガートナー・ジャパンの2017年分析

実際、IT関連調査会社ガートナー・ジャパンの2017年分析では、「AI」と「IoT」は期待度のピークに差し掛かり、今後幻滅期に入っていくと予想しています。

日本におけるテクノロジのハイプ・サイクル:2017年

出典:日本におけるテクノロジのハイプ・サイクル:2017年

もちろん、これは「AI」や「IoT」が衰退していくという意味ではなく、技術が精緻化されていない段階でビジネス化されてしまうことが常態化したために生じる現象であることを物語っています。

期待過多から幻滅を辿った後、衰退するものは衰退するし、完成に向かって進化するものは進化するということでしょう。

今後は、学習分野にしてもAI技術が精緻化されるにしたがって、再び緩やかに期待が回復してくるという手順を踏んでいく領域が確かにあることは否定できませんが、そのまま衰退してしまう領域も出て来るかもしれません。

「AI」を名実ともに「AI」たらしめんとすれば、相当優秀なAIエンジニアと目的とするサービスの優秀な専門家がタッグを組んで論理を組み込んでいかない限りは成し得ないことですから、ビジネス化されたと言っても相当に質の差が出て来ることでしょう。

特に、「AI」というものは「脳科学」以上に、一体何者なんだという定義が曖昧にされたまま無秩序にビジネスライクに進められてしまっていることが大きな不安要因と感じられます。

さらに、ガートナー・ジャパンでは、AIに対するよくある誤解として、次の10項目を挙げていますが、実に的を射たものに思われます。

  1. すごく賢いAIが既に存在する
  2. IBM Watsonのようなものや機械学習、深層学習を導入すれば、誰でもすぐに「すごいこと」ができる
  3. AIと呼ばれる単一のテクノロジーが存在する
  4. AIを導入するとすぐに効果が出る
  5. 「教師なし学習」は教えなくてよいため「教師あり学習」よりも優れている
  6. 深層学習が最強である
  7. アルゴリズムをコンピュータ言語のように選べる
  8. 誰でもがすぐに使えるAIがある
  9. AIとはソフトウェア技術である
  10. 結局、AIは使い物にならないため意味がない

学習部門におけるAIの可能性と残念性

自分でパターンの特徴を抽出できてしまうディ-プ・ラーニングの実現によって、チェスや囲碁のようなルールと勝敗だけがあるゲームにおいては、与えられた膨大なデータから、相手の出方によって、より先を予測し最善の手を打つ力を持ったことは、ある意味当たり前のことです。

ディ-プ・ラーニング自体は素晴らしい開発だと思うのですが、コンピュータはあくまでも論理機械ですから、論理的に結末の予測を絞り込めるパターン認識・パターン学習の領域においては極めて有用だということに過ぎません。

ですから、どんな入試問題を与えても解くことができるAIは実現可能でしょうし、実際にそういうプロジェクトは進行中のようです。

しかし、既に世に出ているビジネスとしての学習AIは真にAIなのかどうかはどうも懐疑的にならざるを得ません。

あらゆる分野に進出しているAIですが、単にパターンを覚えさせて入力条件に応じて出力をするだけの代物も多いと聞きます。

もし本当にAIであるのであれば、どんな問題を質問しても解説や説明が返ってくる筈ですが、実際のところ、学習塾のAI先生に「分からないから詳しい説明をして」とお願いしてもAIシステムの中で答えた問題だけに限定されるように見受けます。

「駿台模試で出来なかったところを説明して」とお願いしても説明してくれないように見受けます。

果たして、それって「人工知能」と呼べるのでしょうか?

そこまで出来てこそ「AI」だと思うのですが、そこまで行かなくても「AI」と呼んでいるってことであれば、なんだかねぇと思ってしまうわけです。

別解までは期待はしませんが、その程度であるならば、単にあらかじめパターンとして用意されたものと大した差異はなく、「AI」とは呼べない代物であることになります。

この懐疑はキリがありませんから今は置いておいて、仮に真のAIだったと仮定しましょう。
そんなAI先生に教えてもらったとしてAIの内部で処理されている思考回路があなたの手に入るのでしょうか?

確かに、

  • タブレットを操作することによって勉強できるもの珍しさ
  • 先生よりも分かりやすい説明をしてくれる可能性、あるいは先生よりも分かりやすいと思ってしまう心理的バイアスによるプラセボ効果

といったメリットは見込めるかもしれません。

といっても、見た限りは、あまりできない子には有効性が認められる気もしますが、そこそこ出来る子にとってはほとんど意味のないレベルのように思われます。

それに、解答のプロセスで間違えた箇所の違いによって、どれほどの的確な説明がしてもらえるのでしょうか?

AIがそこまでできるようになるまでは、前述しましたように、相当優秀なAIエンジニアとその道のプロがタッグを組んで相当な年月を必要とすると思うのです。

果たしてAIは生徒それぞれに応じて伸ばすことができるのか?

実は、AI学習の売りとして、「間違えた問題の傾向から(だと思います)次に学習するべき課題を教えてくれる」という点が特徴的なようです。

「生徒それぞれの間違い方の原因を人工知能が解析し、原因を解決するためにその生徒が解くべき問題へと誘導」という文言を見かけました。

言葉通りだとすれば恐るべきことですが(AI自体が膨大な経験を積んでいる?)、実際にどの程度のことが実現されているのかはブラックボックスで分かりません。

しかし、この点に関しては指導者の観察から生じる知恵や直観や工夫に勝るようなレベルに達することは間違いなくないのではないかと考えます。

例えば、一昨日、中学生になると「負プラス負」や「負マイナス正」そして「負マイナス負」にいたっては大混乱を起こす生徒がいるということでご相談を受けたのですが、こういうことを説明することはAIにはできません。

あくまで、AIが指し示せるのは自分が学習して掴んだパターンの範囲であって、全く別物の何かを比喩に使って説明をすることまでは出来ません。

無機物が有機生命体になることは決してできませんから、工夫や直観や創造性というものを持ち合わせていませんし、よって教えることもできません。

それに、自分で自分の弱点を知ったり、次にすべき課題を自分で見つけることも含めてが学習であって、たとえAIが完成段階に精緻化されようとも、単に無条件で安直に教えればよいというものではありません。

ロシアの発達心理学者ヴィゴツキーが示した最近接発達領を介助をする他者とは、指導者のアドバイスや友を含めた他者の模倣などの集団的多様性の作用と言えますが、パターン化されたAIの答だけに依存すれば非常に視野の狭い発達しか望めないのではないかという問題があります。

この介助のあり方という点では、教師や塾の先生とて同じ土俵にいるわけですが、少なくとも、どの時点で介助の手を出すか、どのような介助をするかの決定権は指導者が握っています。

常時一律に、困ったらすぐに助けを呼ぶ姿勢が習慣になると、最終的には、誰かの指示を受けないと何もできない人間になり兼ねません。

まだまだ遠い日としても、いつの日か、完成度の高いAIと教師によるハイブリッド教育がスタンダードになる日が来るかもしれません。

しかし、ビジネスライクにAIが登場して来た今から、

  • 学習とは何か?
  • 教育とは何か?
  • AIには何が出来るのか?
  • AIには何を任せるべきか?

をそれぞれの保護者や指導者が考え、確立しておかないと、AIの激流に翻弄されしまうことだけは確かでしょう。