有名な言葉に
“One morning I woke to find myself famous.”
という言葉があります。
イギリスの詩人Byronの言葉です。
バイロンは結構日本人に好まれる詩人のようで、どちらかというと、その名前を知っていて当たり前の部類に入りますから、一度、図書館でパラッとでも、バイロン詩集などに目を通されてみては如何でしょうか?
僕なんかも、「心はバイロンだわ!」なんて風によく使ったりするんですよ。
ある朝、目が覚めたら有名になっていた。
そんなことが現実にあればどんなに嬉しいことでしょう。
お父さんやお母さんはきっとこう願っているかもしれません。
ある朝、目が覚めたらお金持ちになっていた。
しかし、現実は??
哀しいかな、ある朝、起きたら毒虫になっていたなんてことはあっても、お金持ちになっていることは絶対にありませんよね。(この文章、何のことか分かりますか?高校生なら分かると思うのですが…)
君も、ある朝起きたら突然秀才になっていればと願うことでしょうが、なかなかそうは問屋が卸してくれません。
でも、・・・
バイロンさんが思わず発してしまったという意味では、大いにあり得ることなんです!!
ある朝、目が覚めたら秀才になっていた。
このバイロンさんは、自由奔放に生きた人のようですが、それでも詩人としては全くの無名だったところに、2年間の異国の放浪(きっと、心の中は腐りながらでしょう)で認めた詩を『チャイルド・ハロルドの巡礼』として出版したことで、突然に有名になって当の本人がビックリしちゃったのです。
さて、ここからが大切なことです!
バイロンさん、自由奔放だからといって、何もせずにサボっていたわけではありません。
むしろ、自由奔放に生きようと思えば、
人以上にサボるわけにはいかないことは、想像するに難くはないのではないでしょうか?
君が自由奔放に生きようと決めて、何もせずに自由に生きれるでしょうか?
この現代とて同じことですよね・・・いや、むしろ現代の方が難しい!!
どういった形にせよ、下積みの時代、あるいは浮かばれずに苦しい時代があったからこそ、「突然有名になった」その青天の霹靂さに驚くことができるわけです。
「どうせ有名になれるはずないじゃん」という思いを持ちながら、それでもやるべきことはやっていたからこそ驚くこと、こっそりとほくそ笑むことができたわけです。
「ある朝、目が覚めたら有名になっていた。」という言葉には、そういった意味が隠されているんですね。
もちろん、バイロンさんの場合には、時代の流れに運よくハマったということはあるでしょうが、それとて何も準備していなければ、幸運が訪れることは決してなかったでしょう。
勉強でもスポーツでも音楽でも何でも同じですよね。
一生懸命準備をしておかないことには、自分が納得できる結果に導かれることはありません。
ましてや、自分が自由奔放に生きれるなんてことは夢のまた夢です。
なにも有名になる必要などサラサラありませんが、自分らしく生きたいと思うなら、少しでもその道で優秀でありたいと思うのであれば、準備を怠ることは致命傷になります。
もちろん、一生懸命努力したからといって、トップランナーになれるとは限りません。
だからと言って、「自由」を放棄して、その引き換えに長いものに巻かれて安穏と生きる方を選んでしまうと、「一生懸命」を放棄することになり、ただただつまらない惰性の人生か、ただただ堕ちるだけの人生を送らねばならなくなります。
トップランナーになろうと準備を始めても、いきなり目に見えてトップランナーに近づける筈はなく、遥か彼方の見えないゴールを見据えて準備を始めたからといって、すぐにゴールが見えて来る筈がありません。
ところが、人は、何かを始めると、すぐに、少なくとも1週間ほどで成果を感じないと嫌気がさして気持ちを腐らせてしまいがちですよね。
そこが問題なんですね。
どんな営みでもそうですが、小さな達成感を得ることなしには次のステップへ向かおうという気にならないものです。
勉強の場合ですと、やはり勉強の仕方がとんちんかんだと、小さな達成感を得ることを阻害する根っこの原因になってしまいます。
賢明な人は、最終のゴールを見据えると同時に、勉強の仕方を少しずつ改善しながら、同時に「まずここまで到達しよう」という小さな目標を設定します。
そうすることで、自分が採用した方法が功を奏しているのかどうかの判別もできます。
君たちで言えば、学校の中間試験、期末試験ということになるでしょうか。
これらの定期試験での成績が上がるという成果を出せれば、それを次のステップに繋げていくことが出来ますね。
高校受験や大学受験へ合格する力ともなると、2年、3年の内の1週間などという微々たる時間では、目に見えて近づけませんが、学校の定期試験のサイクルであれば狭い範囲でのお話ですから、見事に成績を上げることは可能です。
もっと言えば、自分で「こりゃぁ、以前より出来ているって手応えあり」と思える程度の成果なら1週間で十分手に入れることができます。
但し、君がテスト前になったらいつもやっている恒例の「1週間の一夜漬け」ではダメですよ。
この場合は、「以前より出来ている」なんて手応えなどは生まれませんし、試験を終えたら、いつもの通り、いつの間にかすっからかんです。
いつもの延長上ではなく、何か新しい試みでインパルスを与えないことには、しかも理に適っていないことには手に入れられない手応えです。
ある朝、目が覚めたら秀才になれる予感がした。
思わず、これを叫ぶようになれることは、1週間もあれば可能ですし、1,2ヶ月もあれば、実際の定期テストの結果として形に現れるところまで到達することができます。
この急上昇の実感や学校での成績の急上昇が出始めると、あとは学校の勉強ラインを受験勉強ラインに上手く合流させていく仕上げをすれば、ゴールへの道筋はできたも同然です。
確かに、君が掲げる最終の目標に対しては、
“Rome was not built in a day.”
「ローマは1日にしてならず」
ということです。
あるいは、君は知らない言葉かもしれませんが、フランスの細菌学者 パストゥールの言葉では、
“Chance favors the prepared mind” (英語訳)=「幸運は準備された心に宿る」
がこれに相当するのではないでしょうか?
※フランス語での本来のパストゥールの言葉は、研究者の言葉らしく「観察の分野では、偶然は準備された心だけに微笑む」という趣旨になります。
しかし、その一方で、
君が「ローマになれると予感した」7日間がなければローマを作ることはできないことも事実です。
何かを目指すのであれば、何も準備せず、惰性に身を任せていては、おおよそ為し得ることはことはないでしょう。
ある朝、目が覚めたら秀才になれる予感がした。
思わずその言葉が出る7日間を作れたかどうかが大きな分水嶺になるといっても過言ではないと、僕はしみじみと振り返ります。
【帝都大学へのビジョン】の紹介ページでも記している、
『覚醒(Erweckung)』という要素なしには成績アップや志望校合格を成し得ない
という言葉は、まさにこのような意味で書いています。
成績は一挙には目に見えてアップしませんが、アップする変節点は一挙にやって来ます。
そして、その変節点を作ることなしには、成績がダラダラとですら上がる可能性はありません。
最後に、ことのついでに、バイロンのもう一つの有名な言葉をご紹介しておきましょう。
“Truth is stranger than fiction.” =「事実は小説よりも奇なり」
この記事は、「誰の名言?~知識が助ける英語、英語が拡げる知識」なる記事に関連して執筆しました。
このページから、是非、英語の勉強への興味も拡げていってくださいね!!