千人針 おひさまの視聴率に添えて

いろいろとあなたの遺品整理をしていると、親父の千人針が出てきましたよ。
「武運長久」という言葉と何十年ぶりに接したことでしょう。

奇しくも、今、NHKの朝ドラ「おひさま」がとても高い視聴率だそうです。
陽子の兄たちが出征するのは、比較的遅い時期ですから、千人針は出てこないのかもしれませんが・・・。

でも、どうやら、親父は、このドラマのヒロイン陽子の次兄茂樹とほぼ同じ年齢になるようですね。

千人針

僕が小学生のときに親父は逝ってしまいましたから、親父から戦争の話を聞くことは叶いませんでしたけれど、この千人針を眺めていると、なんだか遅ればせながら話を聞いているような気がします。

戦争を知らない僕の戦争に対する原点は、中学で読んだ大岡昇平氏の野火とアウシュビッツの体験を描いた夜と霧

腰ぎんちゃくにされていたと言われるにもかかわらず、鮮やかに覚えている親父との想い出は意外に少ないでしたから、一つ見っけ物をした感じですかね。

幼い頃から、僕は感受性においては鈍かったのだろうと思います。
ただ、庭の木に括られたことや重い本を頭上に上げて長時間持たされた思い出は忘れません。
親父も、きっと甲斐のない子どもだと、あの世から苦笑しているかもしれませんね。

その親父の月参りに、あなたと何年、毎月毎月通ったことでしょう。
きっと20年近くは毎月毎月命日にお墓参りをしましたね。

僕も物心が付いてからは初めて実物を見たのですが、千人針って玉結びなんですね。
擦り切れてボロボロになっているのは、特に陸軍だったからでしょうか?
この千人針を腰に巻いて戦地で戦っていた空気が想起されるほどの重みを感じてしまいます。

あなたは、まだ結婚前でしたから、この千人針には針を通していませんね。
でも、あなたは、あなたの兄のためにきっと千人針に針を通したことでしょうね。
どちらの母親も、どんな思いで針を通し、息子を見送ったことでしょう。
さぞかし、やり切れなく断腸の思いだったことでしょうね。

シベリア抑留から運良く帰還し、あなたと結婚し、平凡ながら暖かな家庭を築き、しばらくは子どもは出来なかったけれども、やっと僕が生まれたんですね。
なのに、それからたった12年で親父は生涯を終えてしまったのですよね。

亡くなる際には、僕のことばかり気にして逝ってしまったことは、あの病院の暗さの中で、はっきりと僕も覚えていますよ。
さぞかし無念の思いだっただろうと思います。

戦争で辛い思いをして、やっと帰還して、銀行マンとして出発し、人間らしい家庭生活を得る中で、それなりの役職にも就き、周囲にも厚い信頼を得ることができた15年そこそこ。
はたして充分だったと言えるのでしょうか?
やはり、あまりにも短かったと言えるのでしょうか?

親父の生きた年月を超えてしまったときに、僕は、自分を「なんと無様な」と思ったのです。
たった45年しか生きれなかった親父に比して、胸を張れるほどに生きれているのだろうか?
今でも、何事をも為し得ていない自分に苛立ちを覚えるのです。

ごく普通の生活を無残なまでに奪う戦争は、今も世界で止むときはありません。
なんと、人間という生き物は愚かに出来ているのでしょうか?
多くの普通の人々は、平和な生活をと思い、願いながらも、戦争という愚行は未だ消えないのです。

「イマジン」がどれだけ流れようと、世界から戦争は消えませんでした。
「世界に一つだけの花」という歌が、いくら流行っても世界から戦争は消えません。
そして、これからも消えそうにありません。

「一人一人違う種を持つ」、「Nothing to kill or die for」と言った情緒的で心の琴線に触れる言葉は美しいと受容されても、現実のルールの中にまでは決して踏み込ませない力が働くかのようです。

宗教・民族・国家・利権が違えば敵対してしまう現実があります。
宗教・民族・国家・利権が違えば、「Everything to kill or die for」、「戦争有理」となってしまいます。

そんな広範囲な世界でなく、ちっぽけな個人の世界ですら、自分のイズムと違うと相手を潰しにかかります。
論理ではなくイズムなのですから、それぞれ人の勝手なのにです。
これが人間の本性でしょうか?

最近は、「正義とは何か?」でオックスフォードのサンデル教授の講義が脚光を浴びています。
僕は、こういった議論の中で、正義より大切なものとして、「全ての人間の生命尊重」を世界共通の第一義アイデンティティあるいはルールとしなければ、いつまで経っても戦はなくならないだろうと考えるのです。

正義を正義たらしめるものは、「全ての人の生命の保証」でなくてはならないと思うのです。
「理性」でもなく「思惟」でもないもの。

最近は、戦前・戦中同様「日の丸・君が代」が強制される方向にどんどん流れが傾いています。
これに不従順であれば処罰される時代は、何をもたらすでしょうか?
いろんな意見があっていいのに、イズムは気に食わないもの・都合の悪いものを封殺します。

これって、世界が愛した「イマジン」と整合性があるでしょうか?
多くの人が良い歌だと口を揃える「世界に一つだけの花」と整合性があるでしょうか?

そして、イズムはいつしか誰もが逆らえないルールになって、私たちの感覚を麻痺させます。
特定のイズムが、誰にも逆らえない暗黙の正義となっていく。
原子力だって同じ道を辿って来たのではないでしょうか。

50年前、40年前、30年前・・・どの時代にタイムスリップしても、そこには「原子力=正義」の空気が満ち満ちていることでしょう。
生命の論理で異議を唱えた者は、変人や過激派として蔑視されていたはずです。
戦争へと辿った道とどこに違いがあるというのでしょうか?

戦後60年を超えても、私たちの精神構造は何も変わっていないかのようです。
生物学的な多様性が欲望に支配された時、もう人の力では如何ともしがたい混沌さを増すばかり。
混沌さの捨て場を失ったとき、もう、僕が唯一「必要悪」だと感じている「神」の手によってしか世界を鎮めることはできないのかもしれないと思ったりもします。

アガパンサスの花

原発にしても、経済効果がないことが分かったから掌を返したように「脱原発」?
どこまで行っても、命より経済の発想がその源泉にあるようです。

親父には、今どう映ってでしょうね?
この人間界の様子が・・。

庭ではアガパンサスの花が満開になりました。
美しいものを美しいと感じる心も、生物多様性の中では一つの確率事象に過ぎないのでしょうか?

-2011年6月29日-


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